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太平山・晃石山・岩船山・三毳山 [栃木]

2016/12/30(金)

■第341回 : 太平山(341m)・晃石山(419m)・岩船山(172m)・三毳山(229m)


今年の登り納めは栃木県の最南部へ。登ってきたのは、関東平野の辺縁にあたり、広大な平坦部が栃木県内に入って間もなく起伏が付きはじめる、その最前衛に位置する山々です。
標高はまだまだ低いエリアですが、5つのピークを次々と極めることにしたので、ロングコースの歩き応えは十分。しかも途中には無名のコブが多数あって、それを越えるためのアップダウンも何度も繰り返される、体力的にもタフなコースでした。このため今回は写真の点数が増えて、少々長い記録となりましたがお付き合い下さい。

(往路)
古淵 04:45-04:49 町田 04:55-05:38 新宿
新宿 05:41-05:59 神田 06:04-06:14 浅草
浅草 06:20-07:34 新大平下

(登山行程)
新大平下駅  07:40
謙信平    08:25-08:30
太平山神社  08:40-08:45
太平山    08:55-09:00
晃石山    09:35-09:45
馬不入山   10:30-10:40
岩船山    11:40-11:50
かたくりの里 12:35-12:40
三毳山    13:10-13:20 (青竜ヶ岳)
三毳山(中岳) 13:45-13:50
道の駅みかもバス停 14:10

(復路)
道の駅みかも 14:46-15:20 静和 15:50-16:20 南栗橋
南栗橋 16:32-17:18 北千住 17:25-17:37 秋葉原
秋葉原 17:42-17:44 御茶ノ水 17:47-17:57 新宿
新宿 18:01-18:43 相模大野 18:50-19:01 大沼


大きなマップで見る

今回のスタートは東武線の新大平下駅です。浅草駅06:20発の会津田島・東武日光行き快速を初めて利用したところ、こんな時期だからか始発の浅草では発車間際でも余裕で座れましたが、北千住からだと着席は運次第でした。
歩き始めて間もなく、沿道の建物が途切れると、畑地が現れた先にこれから歩く稜線が見渡せました。ただこの時は、太平山~馬不入山が全部入っていると思っていたのに、太平山はもっと右に離れて見えていたようです。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
当初渡る予定だった踏切が工事による全面通行止めで、少し迂回してこの踏切を渡りました。ところで、目指している山や神社が「太平山」なのに対して、山麓の地名や駅名は「大平」(この踏切も「大平山踏切」)で、このあたりの地名はちょっとややこしいです。なお踏切の背後は太平山ではなく、それを隠している前山の模様。
新大平下駅から20分ほどの車道歩きで、太平山の下皆川登山口まで来ました。(ブレブレの写真ですみません)

登山道は石段で始まりますが、その脇には若干のジグザグを描いて並走する山道と、九十九折りで傾斜を大幅に抑えた山道があり、前者の山道を登っていきます。この写真は、少し登って斜面の傾斜が緩み、その3者が合流した後のもの。まだ朝早いので静かだろうと思っていたら、すでに何組もの登山者が登り下りしていました。
その先で車道を横断した後も、傾斜は緩やかなままで、歩きやすい山道が続きました。
再度車道に出たところで山道は途切れていて、また少し車道を歩かされます。

上の写真の右カーブを曲がったら、すぐ先が謙信平でした。左手の斜面側は見晴らしが良くなっていて、ベンチなどがズラリと並んでいます。一方の右手側には駐車場や茶店などが続いていました。
謙信平からは関東平野が一望できました。霧が出た時に、眼下の小さな山々が海に浮かぶ小島のように見えることから、この眺めは「陸の松島」とも言われています。それを楽しむには、天気が良すぎてしまいましたが‥‥。
あとで登る予定の岩船山と三毳山のほか、はるか遠くの富士山も見えていたので、上の写真の中央やや右寄りの部分を拡大しました。  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
謙信平には展望台もありました。とはいえ、手前には障害物など何もなくて、今いる高さからもスッキリと眺められていますし、この程度の高さではそう景色が変わるとも思えず、登らないでスルーしてしまいましたけれど。

さらに車道を進んで、現在は太平山神社の神門となっている随神門まで来ました。
随神門は1723年の建築で、その当時、太平山神社の下にあった寺院の仁王門として建てられたものだとか。とても立派な造りで、車道の幅いっぱいに下がっても、正面からは全体をカメラに収めきれませんでした。
随神門をくぐると、神社の境内まで長い石段が続きます。
休み休み石段を登り、ようやく境内が見えてきました。
太平山神社は827年の創建と伝えられる歴史ある神社で、徳川将軍家の信仰が極めて篤かったとされています。
現在も多くの信仰を集めているようで、朝早くから登山者以外にも何人もの参拝客が訪れていました。

太平山山頂や晃石山へと続く登山道の入口は、本殿の右手側へ、いくつかの境内社を見ながら歩いた場所にあります。この登山道は、少し上にある太平山神社奥宮への参道も兼ねていて、分かりやすい案内が立っていました。
途中で太平山神社の奥宮を横目に見るあたりまで穏やかだった道は、山頂の手前でやや急な登りに変わります。
太平山の山頂には富士浅間神社が建っていました。さほど広さはなく、周囲の樹木に阻まれて展望も皆無です。
神社の裏手が少し高くなっていて、そこが最高点らしかったので、踏み跡を追って登ってみます。
最高点はとても狭くて、私製の山名標が樹木に掛けられていただけの、何の面白味もない場所でした。
何もない最高点ではすることもなく、すぐに富士浅間神社に戻りましたが、そこでも長居はできません。というのも、この朝は冷え込みが厳しかった上に、強風が吹き荒れていて体感温度がとても低く、動いていないと身体が冷えて仕方なかったからです。このため、ほとんど写真を撮っている間だけの滞在で、太平山を後にしました。

次の晃石山を目指して進むと、太平山直下はこちら側も急坂でしたが、その後は穏やかな道に変わりました。
10分ほどで「ぐみの木峠」を通過すると、晃石山への登り返しが始まります。
すると、いくつかのコブを越えながら進むようになりました。といっても、このあたりのアップダウンはまだまだ小さくて、体力的な負担はあまり感じないで済んでいます。
前方にベンチ発見。
ベンチの置かれた場所では、東側が大きく開けていて、先週登ったばかりの筑波山が霞んで見えていました。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
その後、「関東ふれあいの道」は晃石山を巻いてしまうので、晃石山を踏んでいくには、その手前で分岐する尾根通しの道に入ります。この区間は道が細くなって、距離は短いものの少々急な登りになりました。

晃石山の頂上には三方向から道が通じていました。私は東西に横断する最短距離ルートを選びましたが(写真右奥から登ってきて左奥へ下る)、南から登ってこの鳥居をくぐるルートが、一番道がしっかりしていたようです。
上の写真がほぼ全景という、やや手狭な印象の頂上には、南側直下にある晃石神社の祠(奥宮?)と大きな標石の一等三角点が設置されていて、ベンチも2脚置かれていたほか、私製の山名標や展望図などがありました。
この日の最高点からの展望を楽しんでいきます。こちらは、先ほど謙信平から眺めていたのとほぼ同じ南西側。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
振り返ると、北側には日光方面の山々が見えていました。
北側はかなり霞んでいたものの、男体山などが辛うじて見えていたので、上の写真の中央付近を拡大しました。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。

晃石山から桜峠方向に直接下る道は、頂上直下の短い間がちょっとした急降下でした。岩の露出や大きな段差などがあって、何度か補助的に手を添えて下っています。そして頂上を巻いてきた道に合流すると、険しい箇所がなくなる代わりに、アップダウンが連続するようになりました。こんな風に、下ったらまた登る、の繰り返しです。
このような小ピークをいくつも越えていきます。どれも決して大きなアップダウンではありませんが、それが何度も繰り返されるので、足に疲労がじわじわと溜まってくる感じでした。
しばらく続いたアップダウンが収まって、穏やかな道になりました。地形図を見ながら歩いていて、この先の桜峠までは下る一方だと分かったこともあって、少しホッとした瞬間です。
ところが現実はそう甘くはなく、その下りが急斜面で、これっぽっちも楽ではありませんでした。大きな段差や足元の悪い箇所がたびたび出現し、何度か手すりに頼るなどして難儀させられたのです(しかも長かった!)。
さらに、これは結果論であとになって分かることですが、この日のコースでここから先に現れる下りは例外なく急降下ばかりだったので、登りはともかく下りの区間に入ると、少しも息を抜けなかったのでした。
長い急坂をなんとか下り切って、桜峠に着きました。ヤレヤレ。
桜峠から馬不入山への登り返しもまた、単調な登りではなく、何度となくアップダウンが繰り返されました。

馬不入山は、この日に登った5座の中で一番広くて景色も良く、ゆったりとして開放的な頂上でした。また晃石山を過ぎると登山者が少し減った印象がありましたが、ここでは居合わせる人もなくて頂上を独占できています。
南西側を眺めると、最後に登る予定の三毳山の上に、富士山がまだどうにか見えていました。
そして北西側の木々の間には、先程までいた晃石山が見えていました(樹木がすべて葉を落としたこの時期限定の眺めでしょうね)。中央でギザギザしている稜線の右端のピークが晃石山で、そこからそのギザギザを経て馬不入山までやって来たのですから、道理でアップダウンが繰り返された訳です。
雰囲気の良い頂上を独占していたので、ゆっくりする手もあったのですが、この時間になっても冷たい強風が唸りを上げて吹き荒んでいます。長く休むと寒くなってしまいそうなので、ここでの休憩も10分で切り上げました。

馬不入山からの下りは、いきなり急降下で始まりました。それもただ傾斜がきついだけでなく、降り積もった落ち葉が滑りやすい上に、落ち葉で見えない地面では石がゴロゴロしていて、足を取られないよう慎重に下るしかありません。しかもそんな状況が断続的にしばらく続いて、この日一番の緊張をさせられた箇所となっています。
かと思えば、やや大きめな登り返しが現れて‥‥。
コブを越えた途端に急降下が再現されます。この先は木段が整備されている区間が多くなって、危険は少なくなったのですが、急降下ばかりが続くことには変わらず、しまいには膝が笑いそうになったほどでした。
樹木の間に灰色の舗装道路が見えてくれば、長かった急降下も残り僅か。結局最後のほうはずっと木段でした。

車道に降り立ったところで、太平山~晃石山~馬不入山と続いた稜線歩きは一旦終了となり、ここからは、ともに独立峰である岩船山と三毳山をそれぞれ登り下りする形になります。
まずは岩船山に向けて車道を進んでいくと、溜め池を挟んで岩船山が姿を現しました。ただこの時間は逆光だったため、霊山とされる岩船山の、絶壁がそそり立つ異様な山容が伝わらない写真になってしまったのが残念です。
岩船山がほぼ真横の方角に迫ったら、「岩船山頂 登り口」の看板に従ってT字路を右折します。「関東ふれあいの道」は馬不入山から下ったら岩舟駅を目指してここを直進していきますし、最寄りの岩舟駅側から岩船山を目指す場合も裏手に当たるこちら側から歩くことは想定されていないようで、ここに登山者用の道標はありません。
ほどなく岩船山の斜面に取り付いた道路は、九十九折りを繰り返しながら、頂上直下まで登ってしまいます。

ということで、車道歩きだけで頂上直下にある高勝寺の仁王門前に来てしまいました。この時、岩船山の頂上部には、私以外にほとんど訪れた人がいなかったようで、相変わらず強風が吹き荒れているのを除けば静かでした。
少しだけ石段を登って、高勝寺の本堂前へ。高勝寺は771年の開山(※)と伝えられる古刹で、岩船山が死者の魂や霊魂が集まる場所だとされたことから、「関東の高野山」と呼ばれるなど一大霊場として栄えていたらしい。
  ※Wikipediaは「宝亀8年(775年)」としているが和暦年と西暦年が不一致
岩船山の頂上に向かうべく、孫太郎尊本殿への案内に従って、高勝寺本堂裏手の石段を登っていきます。
孫太郎尊本殿の前は小広場になっていました。整備された道で登れるのはここまでなので、一般的にはここを岩船山の頂上とするのが適当だと思われます(標高も三角点の地点と大差ありません)。以前はフェンスがなかったらしいのですが、その先で絶壁の崩落が進んでいる模様で、現在はフェンス外に出ないほうが良さそうです。
とはいえ最高点の様子も気になるところです。上の写真の撮影地点で振り返ると、もう少しだけ高くなった一角が目に入りました。そこには無数の卒塔婆が林立して、いかにも霊場といった雰囲気を醸し出しており、入るのがやや躊躇われます。しかし最高点をみすみす見過ごすこともできず、適当に分け入ってみることにしました。
すると、卒塔婆が林立する一帯を抜けたあたりで、今はあまり歩かれてなさそうな古い踏み跡を拾って進めるようになり、すぐに「見晴台」とされる地点に出ました。周囲の様子から、ここが岩船山の最高点のようです。
錆びかけた柵の先は、すぐさま絶壁となって切れ落ちていて、展望はなかなかのもの。そしてその絶壁の“へり”で、探していた三角点も見つかりました。それは一般的に見られる石標の三角点ではなく、コンクリートの穴の中に金属標が埋め込まれた珍しい形状のものでした(下の写真にマウスを乗せると三角点の位置を示します)。

三角点も確認できたことですし、岩船山の頂上を後にします。岩舟駅側に向かって高勝寺の境内を進んで行くと、立派な三重の塔に見送られました。
境内の南端には広場があって、ここでも展望が楽しめました。樹木の間から見えているのが、次に登る三毳山。
広場からの下りは、全区間が石段でした。表参道に当たるこちら側は石段ばかり、他方、今回登りに使った裏参道は車道ばかりということで、岩船山が一般的に登山の対象とされていない最大の要因はこのあたりにありそう。
石段の途中には、三毳山をいくらかスッキリと眺められる場所がありました。
石段は約600段あったらしいのですが、段差が歩きやすくできていて、下るのはさほど苦ではありませんでした。
車道に出たところから岩船山を振り返ると、ストンと切れ落ちた絶壁が大迫力でした。なお岩舟駅から岩船山・高勝寺に向かう場合、普通はここから登り始めることになります。600段の石段を登るのは大変そうですが‥‥。
ここまでで登り下りの累積がそれぞれ1000m近くなっていることが事前に分かっていたので、もしも疲労が進んでいたら、ここから岩舟駅に直行して帰路に就くことも考えていたのですが、まだまだ余力は十分そうです。

ということで、最後の三毳山に向けて車道を歩いていくと、正面の三毳山がだんだん大きくなってきました。
両毛線の踏切を渡る途中で岩船山を振り返ると、岩肌が露出して断崖絶壁に囲まれたその異様さが良く分かる眺めになっていました。そもそも、山の形が船に似ていることから名付けられたとされる山ですが、江戸時代から始まった岩船石の採掘が現在もなお続けられていて、このような無残な姿に変わってしまったらしい。
約1時間に及ぶ車道歩きを経て、ようやく三毳山への登山口となる「かたくりの里」への入口まで来ました。
「かたくりの里」の管理センター前に到着すると、建物内はひっそりとしていたので、年末の休業日だったのでしょう。でも外にあるベンチは使えたので、腰掛けて少し足を休めていきます。
というのも、岩船山から下り終えた時点で体力には余裕があると感じていたのに、それから1時間車道を歩いたら足が予想以上に疲れてしまったのです。やはり、路面が硬い舗装道路は足への負担が大きいのですね。

少々の休憩では大して回復するはずもなく、疲労感を引きずったまま三毳山への登山道に入ったら、緩やかだったのは最初のうちだけで、その後は木段が連続するようになりました。疲れた足には結構こたえます。
しかも登るにつれて傾斜が増して、段差も大きくなっていきます。かなりペースを落とさないと登れません。
さらに頂上に近付くと、岩がゴロゴロしはじめて足場も悪くなり、もう数歩ごとに休みながら登る具合でした。

それでも、少しずつでも歩いていれば、ちゃんと頂上に着くものですね。
三毳山の最高点、青竜ヶ岳です(三毳山には、少し離れて三角点峰の中岳もあるので、別名を併用して区別します)。青竜ヶ岳は狭い頂上部の大半を電波施設が占有していて、登山者は肩身の狭い思いをさせられるのでした。
ですから展望も、電波施設がない側にほぼ限られます。こちらは西側の眺めで、遠くは霞んでいたものの、南のほうは奥秩父の手前くらいまで見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北側の日光方向は、晃石山にいた頃よりもいくらか良く見えるようになっていました。
ということで、晃石山と同様に男体山周辺を少し大きく写してみました。でも実は男体山などは、このあと下山してからのほうが、もっとクッキリと鮮明に見られるようになったのでした。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。

三毳山・青竜ヶ岳からの下りも、かなり急で足場もよろしくない箇所が多く、疲労の蓄積から次第に踏ん張りが利きにくくなりつつある足で快調に下るのはとても無理で、安全第一で1歩1歩を踏みしめるように進みました。
それでも急坂を下り終えると、その後は良く手入れされた道に変わって、とても歩きやすくなります。栃木県が都市公園として整備した「みかも山公園」内に入ったようで、次第に休憩舎等の施設も目立つようになりました。
公園内には車道も縦横に張り巡らされていて、3度目の車道を横断した先から、中岳への登りが始まりました。
中岳への道も、木段の急な登りとなって、再びペースダウン。ただ、それほど長い登りではありませんでした。
三毳山の三角点峰、中岳に到着しました。これで、この日予定していた全てのピークを踏んだことになります。

中岳から少し下ったところには、ハングライダー/パラグライダーの離陸場があり、東側が大きく開けていたので、筑波山や加波山などが見渡せました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
さらに進むと三毳神社の奥社に出ます。ここはちょっとしたピークになっていて、手前には僅かながら登り返しがあり、あとは下るだけだとばかり思っていたから少し凹みました。ま、脇道に入ればスルーすることもできたのに、意地で敢えて尾根道を歩き通したのでしたが。
奥社の境内からは、ようやくゴールの「道の駅みかも」が見えてきました。今度こそ、ここを下るだけです。
しかし、この下りがとてつもなく急でした。最初の区間こそ、良く整えられた階段でしたが、その先は容赦ないほどの傾斜になるのに、道が結構荒れていたりして、足元に注意が必要な箇所も多かったです。
そんな急降下に最後まで煩わしい思いをさせられた末に、なんとか三毳神社の里宮まで下ってきました。
右を向けば、もう道の駅が目と鼻の先です。

ゴール地点の「道の駅みかも」です。「みかも山公園」内ではほとんど人の姿を見なかったのと対照的に、こちらは結構な人出で賑わっていました。
バスが来るまで少し時間があったので、レストランで「ハヤシライス」を注文して待ちます。880円はちょっと高いなぁ、と思っていたら、もっとお洒落な店でなければ出てこないような割と本格的なものが出てきたのが意外で、美味しかった上に量もタップリでしたし、さらにポテトサラダと果物とデザートにコーヒーゼリーまで付いてきて(それぞれ量は少なかったけれど)、十分に満足できる内容でした。
「栃木市ふれあいバス」のバス停は建物の目の前にありました(上の写真にも写っています)。私は東武線の静和駅まで利用しましたが、栃木駅や岩舟駅に向かうことも可能です。ここを発車した時点で私だけだった車内には、その後次々と地元住民らしい方々が乗ってきて、地域の足としてしっかり定着している印象を受けました。

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足利行道山・両崖山 [栃木]

2016/03/20(日・祝)

■第324回 : 足利行道山(441m)・両崖山(251m)


様々な地域の風景を満遍なく楽しみたいという思いから、普段より行先のエリアを意識的に分散させていたつもりなのに、なぜか栃木県だけは2008年に登った那須岳以来、再び訪れる機会をなかなか作れないままでした。
そこで、そんな準空白区ともいえる栃木県の山々の中から、足利行道山を行先に選んで出掛けてきました。

(鮮やかな朱塗りの神殿が美しい織姫神社)
今回のコースは非常に起伏に富んでいて、最初から最後まで小さなアップダウンが延々と繰り返されるというタフなコースでしたが、その分だけ景色も次々と変化して、飽きる間もなく歩き通した形になっています。
途中には、関東四霊場の古刹・行道山浄因寺、日本三毘沙門に数えられる大岩毘沙門天や、織姫神社などの見所も随所にあって、山歩きをさらに味わい深いものにしてくれました。見所の多さから、今回は写真も多めです。

(往路)
古淵 04:45-04:49 町田 04:55-05:32 代々木上原
代々木上原 05:40-06:14 北千住 06:23-07:53 足利市
足利市 08:00-08:37 入名草

(登山行程)
入名草バス停 08:40
藤坂峠    08:55
馬打峠    10:05
行道山浄因寺 10:45-10:50
足利行道山  11:10-11:20
大岩山    11:30
大岩毘沙門天 11:45-11:50
両崖山    12:40-13:00
織姫神社   13:30-13:40
香雲堂本店  13:45-13:50
足利市駅   14:10

(復路)
足利市 14:39-15:42 北千住 15:45-15:57 秋葉原
秋葉原 16:05-16:07 御茶ノ水 16:10-16:20 新宿
新宿 16:31-17:10 相模大野 17:25-17:40 市営斎場入口


大きなマップで見る

最寄駅の始発電車から乗り継いで、遠路はるばる足利市駅までやって来ました。でも時刻はまだ8時前です。
なんとか早く着く方法はないかと様々なルートを検討する中で、乗り継ぎに無理がなく、それでいて8時に間に合うパターンを発見したときには、思わず「よっしゃ~」と声に出ておりました。
登山口として選んだ藤坂峠への足として利用できるバスは2路線ありますが、どちらも8時までの便を逃すと次がお昼か午後になってしまうので、この乗り継ぎが成立しなければ、今回の計画は立てられなかったのです。
足利市の生活路線バス・名草線はワゴン車で運行されていました。写真は終点の入名草で降りたところです。
座席は8席(+助手席)しかなく、たぶんそれが定員なのだと思われます。幸いにもこの日の乗客は、全線を通して私だけでしたが、もしも乗客が定員よりも多かったら一体どのように扱われるのか、少し気になりました。

今回のコースは、栃木県の「関東ふれあいの道」のうち、第6番「山なみのみち」と第7番「歴史のまちを望むみち」の2本を、ほぼそのまま繋げたものです。ただし最初に出てくるポイント「名草の巨石群」は、あまり山歩き的にそそられる物件ではなさそうなので省略することにして、ここを右折せずに藤坂峠に直行しました。
車道を緩やかに登っていくと、ほどなく藤坂峠に到着して、左に分かれる山道に入ります。
最初から木段ばかりが続いて、やや苦しく感じる登りで、まずは地形図に319mの標高点が打たれた最初のピークに立ちます。名もないピークですが、木の幹には私製の標識が掛けられていました。
その先は起伏に富んだ尾根を進むため、登り下りを繰り返しますが、当面は名前の付いた山に登る予定が全くありません。踏んでいくのはどれも小さなコブで、頂点に立っても特別な気持ちにはならない上に、登り下りが木段ばかりという「関東ふれあいの道」にありがちな展開が追い打ちをかけて、無駄にキツく感じられてしまいます。
それに耐えてしばらく進んでいると、次第に傾斜が緩やかな箇所も歩けるようになってきました。
このように斜面をトラバースする道が続いている間は、尾根上の登下降が避けられて、歩くのも楽でした。
途中にはベンチの置かれたピークが2つありました。この写真はそのうち2つ目の388m三角点ピークです。
それにしてもこのベンチ、三角点に近すぎませんか?
まぁ最近は測量もGPSなどを利用して行われているようなので、特に不都合はないのかもしれませんけれど。

388m三角点を過ぎた後は、下りが主体となります。しかしこのエリアには、登りまたは下り一辺倒の単純な尾根などどこにもないらしく、地味な登り返しが何度も現れるので、楽には歩かせてもらえませんでした。
ここで一旦車道に出ます。
車道を歩いたのはほんの1分ほどで、すぐに山道への入口が見つかりました。ここが馬打峠です。
ここでも何回かアップダウンをさせられましたが、登ったのはまたしても名前のないピークばかりです。
登山道の様子もいたって普通で、距離が短かったこともありますが、写真を撮りたいと思えるような場所もないうちに林道へ降りてきてしまう始末で、無駄に体力だけを使ったような気にさせられました。
少し林道を歩けば前方から舗装道路が合わさり、右に折れて登っていくと、いよいよ行道山エリアに入ります。

このあたりが今回のコースのほぼ中間点に当たり、ここを境に登山道の雰囲気がガラッと変わります。
ここまでの前半は、地味な山道をひたすら登り下りするだけで、特別な景色が見られるわけでもなく、渋さが際立っていたコースでした。そのためか、見掛けたハイカーもほんの数人にとどまっています。
しかし、ここからは展望の良いピークや稜線の縦走に変わるので、景色を楽しみながら歩けるようになります。そしてその途中で立ち寄る、浄因寺や毘沙門天といった見所にも期待していました。

車道の終点まで登ると、そこが浄因寺の駐車場になっていました。停められていた車はこの通りチラホラといった程度で、バスで来る人もそう多いとは思えませんから、この様子ならばこの先も比較的静かに歩けそうです。
浄因寺の石段が始まりました。決して長くはありませんが、斜度はそれなりにあるので、すでにそこそこのアップダウンをこなしてきた足には少し苦しく感じます。
さらに石段の続きを登ると、その脇には何やらお堂が。
お堂の中には、多くのお地蔵様が所狭しと並んで立っていました。
斜面のそこかしこにも、たくさんの石仏や石塔が置かれていました。
ほどなく、立派な山門をくぐって境内に入ります。

行道山浄因寺は、和銅7年(713年)行基上人の開創と伝えられる古刹で、室町時代には学問の道場として多くの修行僧が集い、「関東の高野山」と称されるほどだったといいます。
私が着いた時、この本堂ではご年配のハイカーお2人が縁側に腰掛けて足を休めていましたが、間もなくそのお2人が先発してしまうと、境内には私だけが残されて、あたりにはとても静かな時間が流れていました。
少し離れた崖の上に建つのは別亭の「清心亭」で、巨岩から巨岩へと架けられた「天高橋」でそこへ渡ります。
これと良く似た構図の写真を浄因寺の紹介等で良く見るので、浄因寺を象徴する風景のひとつと言えそうです。
天高橋を渡って清心亭まで行きましたが、巨岩にへばりつくように建っているので間近にしか立てず、うまく建物全体を写真に収められません。少し離れると、今度はその巨岩が邪魔をして、建物が隠れてしまうのでした。
その代わり、清心亭の前に立つと、浄因寺の境内全体を見下ろすことができました。
本堂の前で少しだけ休んだら、道標に従ってコースの先へと通じる石段を登ります。
最初の石段が終わった場所に立っていたのが熊野心月堂。もしもここで振り返っていれば、境内を見下ろしたその先で崖の上に清心亭が建つという、浄因寺の紹介写真でお決まりのように使われる最も絵になる景色が見られたはずなのですが、ただ前だけを見て通り過ぎてしまったようで、そのことに気付いたのは帰宅後でした。
さらに登ると、石仏が立ち並ぶ一角があって、恐らくこのあたりまでが浄因寺の境内だったのでしょう。

その後も階段状の急登が続いて、浄因寺が、いかに急峻な斜面を背後に建っていたのかを良く実感できました。
それでも小尾根に乗ると、ようやく傾斜が緩みます。進行方向には、行道山の頂上が間近に見えてきました。
足利行道山に到着しました。頂上には東屋といくつかのベンチ、三角点と展望盤が設置されています。
さほど広い頂上ではありませんが、居合わせた人数もほどほどで、特に手狭に感じることはありませんでした。
展望盤には、富士山・男体山・筑波山などが描かれていましたが‥‥。
気温が上がったこの日は、過ごしやすくて良かった代わりに、遠くが春霞に煙って展望は今ひとつ。ハッキリと見られたのは近くの山々までで、赤城山の距離になるとすっかり霞み、榛名山はもう全く分かりませんでした。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ところでこの場所の名前について触れておきますと、現地の道標等では「石尊山見晴台」で統一されていて、「行道山」という表記は見掛けませんでした。でも地形図に「行道山」と書かれているなど、行道山の頂上であることも間違いないと思うので、この記録ではここを「足利行道山」としています。
それは良いのですが、問題となるのは「石尊山」のほうです。今回私が参考にした「栃木県の山(山と溪谷社刊)」をはじめ、多くのガイドブック類がこの地点を「石尊山」でもあるとしているのですが(行道山(この一帯の総称)の最高点を石尊山とする書き方のものが多いようです)、その真偽が不明なのでした。
「石尊山」という名前の山が北西方向の比較的近くにあることから、そこを眺めるために「石尊山見晴台」と名付けられたのであって、この場所が「石尊山」という訳ではないのだという見解もあるようなのです。
このため、この記録では「石尊山」という表記を避けましたが、実際に「石尊山」を眺めてみたら、その見解には懐疑的にならざるを得ませんでした。上でお見せした展望写真でもお分かり頂ける通り、この場所から見る北西方向の「石尊山」は決して際立った存在などではなく、むしろ周囲の山並みに埋もれて識別しづらいほどでした。その程度の見え方の山の名前を付けて、わざわざ「OO山見晴台」とは名付けないだろう、と思っています。

足利行道山からその次の大岩山まではわずかな距離で、10分ほどで着いてしまいます。こちらは狭い頂上で、たいした展望もなく、行道山で休憩してきたばかりということもあって、素通りしてしまいました。
私製のものしかなかった山名標によると、大岩山のほかに、剣ヶ峰という名前もあるようです。
大岩山からつづら折りの山道を下ると、一旦車道に出ました。
車道を少し歩いて、毘沙門天への下り口まで来ましたが、そのまま進むとその先で景色が開けているようです。
駐車場になっていたその場所は見晴らしが良くて、眼下に広がる足利の街並みが眺められました。ただ、遠くの景色はすっかり霞んでいて、全体的にぼんやりとした見え方だったので、撮った写真の出来は今ひとつでした。

ということで、先ほどの下り口に戻り、少し下るとすぐに大岩毘沙門天の前に出ました。奈良の信貴山、京都の鞍馬山とともに、日本三毘沙門の一つとして知られる古刹は、正式名を大岩山最勝寺といい、天平17年(745年)に、浄因寺と同じく行基上人によって開山されたと伝えられています。
境内が狭くて、これ以上後ろに下がることができず、どうしても建物全体を入れた写真が撮れませんでした。
毘沙門天から石段を下って、山門を裏からくぐります(この写真は振り返ったものです)。
さらに石段を下っていくと、その下は舗装道路でした。
車道に出たところから、毘沙門天の石段を振り返っています。

少しの間、ほぼ平坦な車道をのんびりと歩いていましたが、5~6分で山道への分岐点に出ました。
山道に入ると、またしても木段が待ち構えていました。もうお腹いっぱいです。
ここでも、登り詰めたのは無名のピークでした。辛うじて三角点が設置されているので、「274m三角点峰」などと呼んでほかと区別することはできるのですが‥‥。
なお背後で樹木の間から見えている稜線は、中央やや右寄りの突起が大岩山で、右端あたりが行道山です。
三角点峰を過ぎれば、地形図では単純に下るだけのように読めたのに、実際には地味なアップダウンを何回かさせられました。穏やかな気持ちでのんびりと歩ける箇所が本当にありません。
そして結局、車道と同じ高さまで下ってしまいます。しかもここで横断するのは、つい先程まで歩いていた道の続きなのです。せっかく山道に入ったのに、何てことのないコブをいくつか越えただけで同じ道に戻ってしまうのですから、正直なところ若干の徒労感のようなものがあります。まぁ、車道をそのまま歩いていた方が絶対に楽なのは最初に地図を見た時から分かっていて、好きで山道に入ったんですけどね。。。
その後も、両崖山までの間には、2つほどのコブを越えて行かなければなりません。このコースでは、名も無いコブをただ越えるだけのために、こんな木段を一体何度登ったり下ったりしたのだろう。。。
これを登り切ればいよいよ両崖山ですが、最後の最後まで、急な木段から解放されることはありませんでした。

両崖山の頂上に到着です。足利の市街地が間近に迫り、そこからの標高差も小さいので、もうちょっと訪れる人が多いのを想像していたところ、居合わせた人の数はちらほらといった程度で、意外にも静かな頂上でした。
両崖山の頂上には、御嶽神社・三日月神社・天満宮が祀られていました。樹林に囲まれていて、展望は全くと言っていいほどありませんが、そのためか長居する人は少なくて、落ち着いた雰囲気が保たれていたようです。
頂上のほぼ真ん中にあったのが、この御嶽神社です。
両崖山は足利城跡でもあり、本丸があったこの頂上には石垣跡が残っているとのことです。
少し外れたところ(西側の端のあたり)に掛かっていたのは、足利百名山の標識でした。足利だけで山が百もあるというのが驚きで、少し調べてみると、標高25mなんて山を筆頭に、百mに満たない山がいくつもあるなど、かなり苦心して数を合わせたらしい様子が窺えました。
足利百名山の標識の先には、西側に隣接する小さなコブへの踏み跡があり、それをたどっていくと、栃木百名山の標識がありました(ヤマレコでそう書かれた記事を読んでいたので、その通りに歩いてみました)。

両崖山を後にしたら、あとは足利市街に向けて下るだけ。まずは神社の石段を下ります。
石段はもう少し先まで続いていました。足利市街から両崖山に登ると、最後に急で長い石段が待っている、ということになります。(以上2枚の写真は、いずれも振り返って撮りました)。
石段が終わると、その先に展望台が見えてきました。
展望台からは足利市街を一望できたほか、市街からほど近くにある大小山や大坊山といった、今回の山行プランを立てる際に、もうひとつの候補地して考えていた山々なども眺められました。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
その先の下りでも、若干のアップダウンは最後まで続きました。とはいえ、もう大きな登り返しはなく、登った先が大抵はこうした展望地になっていて、いい景色が楽しめたので、これはこれでアリだと思いましたが‥‥。
いよいよ市街地に近くなり、道路が絡むようになって車でも登って来られるエリアに入ると、尾根上は次第に公園のような景観を呈してきました。
歩く道もすっかり舗装道路に変わっていて、道の枝分かれも多くなりました。分岐点ごとにいつも道標があるわけではなかったので、どの道が正解かハッキリせず、勘に頼って歩くような局面も出てきています。
もう市街地はすぐ下。この噴水広場が現れる頃には、散策する市民らしき姿も多く見られるようになりました。

分岐のいくつかを勘に頼って進んできた割には、最短経路から大きく外れることもなく、スムーズに足利織姫神社に到着しました。足利観光の大きな見所でもあるので、境内は多くの観光客で賑わっていましたが‥‥。
列に並んで参拝を終え、社務所でお守りを頂いて、再び本殿に目をやると、なんと参拝者の列がありません。ここで全く人が入らない写真が撮れるなんてラッキーでした(この時も両脇や背後には多くの人がいたのです)。
鮮やかな朱塗りがまぶしい本殿。機織りで栄えてきた歴史を持つ足利だけに、機織りを司る神様を祭神としたこの神社は、美しい社殿のいくつかが国の登録有形文化財にも登録されています。

足利織姫神社から229段の石段を下り、一の鳥居をくぐると、もうそこは市街地の真っ只中でした。
足利市駅へ向かう道すがら、お土産を購入しに香雲堂本店に立ち寄ります。建物の左側にあるのは織姫をあしらったからくり時計で、街中にはほかにも交番やトイレをはじめとして、織姫神社風の建物が多く見られました。
足利みやげとして定番の「古印最中」。ギッシリ詰まった上品な甘さの餡が絶品だった上に、薄いながらももっちりと香ばしい皮もまた秀逸でした。この日は季節限定の「桜最中」もあって、ともに美味を堪能しています。

そして渡良瀬川を渡れば、もう足利市駅は近いのですが、あと少しお付き合い下さい。
上の写真の橋の名は「渡良瀬橋」。森高千里の曲にちなんで、堤防道路脇に歌碑が設置されているのです。
歌碑越しに渡良瀬橋を写してみましたが、橋梁の一部が工事中でシートに覆われていたのが残念でした。
渡良瀬橋の上から、渡良瀬川の上流側を眺めてみました。
渡良瀬橋を渡り終えて振り返りました。橋桁とほぼ重なって奥に見えているのは、織姫神社が建つ織姫山です。
足利市駅に戻ってきました。
往路の早朝と違って、日中は特急が運行されているので、指定席にゆったり座って帰りました。最終的にはほぼ満席になりましたが、それを想定して少し早めに駅に着いて特急券を購入したため、窓際の席が取れています。

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