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茨菰山・三角山・仙洞寺山 [丹沢]

2017/03/18(土)

■第349回 : 茨菰山(511m)・三角山(515m)・仙洞寺山(583m)


今回の行先は超近場で、すべての行動が現住所と同じ相模原市内で完結しています。
繋いで歩いた3つの山々は、いずれも一般的な登山道がなく、訪れる人も稀なヤブ山ばかり。苦労して登った割に、どの山頂も殺風景で展望がないなど、いくら物好きな私でも地味すぎたかなと感じる山行となっています。
当然ながら山の中に入ると、ハイカーはもちろん、人の姿というものを一切見ることがありませんでした。

(往路)
古淵 06:33-06:44 橋本 06:55-07:36 鳥屋郵便局前

(登山行程)
鳥屋郵便局前バス停 07:40
茨菰山       08:30-08:35
茨菰橋       09:05
三角山       09:35-09:45
金太郎権現     09:55
仙洞寺山      10:40-10:50
三ヶ木バス停    11:55

(復路)
三ヶ木 12:00-12:38 橋本 12:44-12:55 古淵


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今回は、自宅最寄駅から10分だけ電車に乗ったら、すぐにバスに乗り換えて、鳥屋郵便局前という所に来ました。移動距離が短いだけに、特に早起きをして出掛けて来た訳でもないのに、時刻はまだ7時半過ぎです。
上の写真にも写っていますが、バスが走り去った方向には、丹沢の最高峰・蛭ヶ岳が見えていました。これくらいの標高になると、まださすがに雪化粧がしっかりと残っていますね。

県道を歩き始めると、間もなく左手に、最初に登る茨菰山が見えてきました。すぐにでも登れてしまいそうな見え方ですが、実際のところ現在地の標高がもう270mあるので、自分の足ではあと240mほど登るだけなのです。
5分ほど歩いたら、道の右側に「ここは谷戸 標高二九六米」という標柱が立つT字路を左折します。
細い道に入って、何軒かの家屋を見送ると、道はやがて登りに変わります。
T字路に突き当たって右折した後も、舗装された道がしばらく続きますが‥‥。
その先はもう何もありませんでしたし、倒木が道を塞いでいたりして、長いこと車は入っていない様子でした。
舗装道路の終点手前では、路面が大きく崩落していました。
良く見ると、僅かな幅で残った舗装面も、その下の地面は崩れて失われています。何の支えもない舗装面に乗ってもしも落ちたら、タダでは済まないくらい落差があったので、右端を恐る恐る歩いて通過しました。

舗装道路が終わっても、その先には明瞭な踏み跡が続いていて、難なく進むことができました。
ほどなく送電線の直下に出ます。道が明瞭だったのは、そこが送電線の巡視路でもあったからなのでしょう。
さらに登って茨菰山林道に上がった所では、送電線巡視路を示す標識が登ってきた道を示していました。
林道に立って左を向けば、すぐ先で送電線巡視路の続きが右に分かれていて、あと少しだけ巡視路を進みます。
僅かに登ると、2本の送電線が直交する地点に出ます。右手に伸びる送電線の先には、茨菰山のあとで向かう予定の2つの山が見えていました。次に登る三角山も、アプローチには送電線巡視路を歩かせてもらいます。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
送電線巡視路をたどることで、快適に歩いて来られたのはここまで。ただ、その先にも踏み跡は続いていて、それを追って頂上まで行くことはできたのですが‥‥。

余程酔狂な人しか来そうもない場所にしては、何故か踏み跡は明瞭でしたが、かなりヤブっぽいのが難点です。
しかも単なる草藪にあらず、棘のある植物が多くて、不用意に触れると痛みを伴うのが煩わしいです。茨菰山の読みは「ほおづきやま」で、音にすると穏やかな響きですが、実際は字面の通りイバラに覆われた山なのでした。
イバラが繁茂する中を、時として掻き分けるようにして進む踏み跡が、頂上までずっと続きました。この寒い時期ですらこんな状況ですから、暖かくなってから登ろうとしたら、きっと地獄を見るでしょう。
茨菰山の頂上は、どの方角を向いてもこんな景色ばかりで、殺風景極まりない場所でした。およそ一般的な山頂ならありそうなものが、ここには何ひとつありません。一体何が楽しくてこんな場所を目指して来たんだか。
このあたりが最高点で間違いないと思ったのに、先人たちの記録に良く出てくる私製の山名標を探しても発見できませんでした。割と最近の記録でも写真に撮られているものがあったので、探し方が悪かったのかなぁ。
腰掛ける物もなく、陰気臭くて居心地の悪い頂上には、5分もいればお腹いっぱい。標高差が小さかったので疲労感がほとんどなく、休憩する必要もなかったので、写真だけ撮ったらそそくさと立ち去ることにしました。

茨菰山林道までは、登って来た道をそのまま引き返します。登る時には気付きませんでしたが、途中には宮ヶ瀬湖をチラッと眺められる場所がありました。
茨菰山林道に出たら、下りはこの林道を使って、はじめに歩いていた県道まで下りてしまうことにします。
かなり下ったあたりでは、林道脇に相当な旧式とみられる車が乗り捨てられているのを見掛けました。

茨菰山林道から県道への出口は厳重に封鎖されていたものの、徒歩であればその脇を容易に抜けられました。写真右端で県道には小さな橋が掛けられていて、その橋の名前からこの地点を「茨菰橋」として記録しています。
県道に出て林道を振り返りました。2つ上の写真のような不法投棄があるから、こんな風になったのでしょう。
一方、反対側には送電線巡視路の開放的な入口があって、これが三角山への登りに打って付けなのでした。

こちらの送電線巡視路は、思っていた以上に良く踏まれていて、道としての体裁をなしていました。
実は歩く人が結構いたりするのか、広めの道幅が保たれて、刈り払いもしっかりされているなど、意外なほど快適に歩けます。ここにあと道標さえ立てれば、一般登山道と呼んでも遜色ないような立派な道でした。
上部で傾斜が急になっても、巡視路仕様のプラスチック階段がきちんと設置されていて、歩きやすかったです。

送電線鉄塔が立つ尾根まで上がれば、三角山への登りは3/4を終えていて、残るはひと登りといったところ。
そこから先は送電線巡視路ではなくなりますが、水源林を示す赤杭に沿って、明瞭な尾根道が続いていました。
尾根の左側を気にしながら登っていると、ところどころから丹沢の核心部が眺められました。木々が葉を茂らせると見通せなくなりそうなので、この時期限定の展望だと言えそうです。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
登山道ではないので、中には足元が悪くて下る時に緊張する箇所もありましたが、大きな問題はなかったです。

三角山の頂上には、防災無線のアンテナ塔が建っていました(少し先にはTVKの電波塔もあります)。
今回登った3つの山では、唯一の三角点峰です。写真左上のフェンスには、私製の山名標も括られていました。
山名標のアップです。展望はありませんが、上空が開けているため明るい場所で、マイナーな山にしては居心地はまずまずです。三角点に腰掛けて少し休憩していきました。

三角山からの下りは、少し急になる箇所もあるので慎重に歩いて、先程の送電線鉄塔まで戻ってきました。
送電線鉄塔の建つ地点で左を向くと、次に向かう仙洞寺山が近くに見えていました。
先ほど登って来た巡視路を見送って、尾根筋を進みます。小さなピークに登り返すと、そこには金太郎権現を祀った社がありました(由来も信憑性も不明ですが、このピークには「ババ山」という名前があるようです)。
金太郎権現の先は転がるような急降下。元々は参道の石段だったものが、今やほとんど歩かれていないのか、段が土に埋まって最早ただの斜面も同然、しかも枯れ葉が乗って滑り台と化していて、実に手強かったです。
あまりの滑りやすさに、鉄パイプ製の手摺りにしがみ付くようにしながらでなければ、とても下れません。
しかもそんな急降下が、かなり長く続きました。途中で振り返って撮ったこの写真で、その長さと勾配の激しさが少しはお分かり頂けるでしょうか。もしも手摺りがなかったら、滑落は避けられなかったように思います。

なんとか無事に急降下を終えて、鞍部に降り立ちました(ここが火海峠らしい)。金太郎権現の参道だったはずの踏み跡は、ここから右に下っていきますが、仙洞寺山に向かうために、それを無視して尾根筋を直進します。
するとその先には、薄い踏み跡が見られるだけになりました。踏み跡はしばしば頼りなくなり、今回のコースで最も不明瞭な区間となりますが、テープによる道案内が適度にあって、進路を見失う心配はなかったです。
415m標高点ピークに登り返すと、樹木に巻かれたテープに「山の神沢ノ頭」とマジック書きされていました。
415m峰で進路を左に変えたのち、小さく下って再び鞍部に降ります。

その鞍部からの登りが、容赦ない厳しい急登でした。立ち木を頼りに身体を支えて持ち上げるようにしなければ、登るのが困難なほどの勾配があり、しかもそれが標高差約80mもの間、変わらない調子で続きます。一般登山道以外のバリエーションルートを何度も歩いてきた中で、局所的な短い急登ならば、これに匹敵する勾配の箇所もあったと思いますが、ここまで長く続くのを経験したことはなく、バリルートでも屈指の激坂だと思います。
あまりの運動量に、仙洞寺山の中腹を周回する林道に出る頃には、山シャツ姿でも大汗をかかされていました。
(強い冷え込みがなく、朝から日差しが力強かったこの日、最初の茨菰山を登り下りする間に、それまで羽織っていた防寒着は全て脱いでいました。3月中旬なのに、それ以降はずっと山シャツ姿で行動できていたのです)
林道を横断しても、急登はもう少し続きます。西側から仙洞寺山を目指す踏み跡は、林道から上で幾分明瞭さを増したものの、少々ヤブっぽい箇所の通過があったりして、いくら暑くてもシャツの袖はまくれませんでした。
頂上に近付くと傾斜が緩んだ一方で、倒木や草被りなどが煩わしい箇所もありました。

仙洞寺山の頂上は、割と唐突に現れた印象でした。顕著なピークでなかったこともあり、もう少し先かなと思いながら歩いていたので、テープにマジック書きされた山名表示がなければ通り過ぎてしまったかもしれません。
その山名表示がこちら。これ以外には、ここが頂上であることを示すものは何もありませんでした。
最高点を少し過ぎた地点では、「宮」の字を図案化したマークが彫られた宮標石を見ました(少し離れた地点でもあと1つ見ています)。宮標石は、明治時代にここが御料林(皇室所有地)だったことを示すもの。4つの面には青山村・鳥屋村・青野原村の名が刻まれていて、3村の境界に置かれて各村の方向も示していたようです。

仙洞寺山を後にして、北側に下り始めると、それまでと打って変わって明瞭な道を歩けるようになりました。仙洞寺山は、北側からの往復でなら、そこそこ歩かれている様子です。
541mピークを越えた先からは、樹種を書いたプレートが掛かる樹木を多く見るようになりました。
このあたりは、自然観察会のようなイベントで歩かれるエリアなのかもしれません。樹種プレートには、「フォレスト21さがみの森」と書かれているので、その名前で何らかの整備が行われているのでしょう。
さらに進んで、いくつかの建物が現れると‥‥。
間もなく林道に降り立ちました。周囲の建物は「フォレスト21さがみの森」の拠点施設のようです。
「フォレスト21さがみの森」の看板が立っていました。それによると、この一帯は森林作業や自然との触れ合いを体験できる場所として整備されていて、定期的に植林や管理活動などが行われているとのことです。
この先にも地形図によると破線路が続いていますが、そこへ進んでしまうと、ネット上の記録からトラブルが多いことが分かっていたので、あとは大人しく林道を下ることにします。
一般登山道のない山ばかりを歩いた今回ですが、林道や送電線巡視路を歩ける区間が結構ありましたし、そうでない所も、ほぼ踏み跡を追って歩くだけで済んだので、道なき道を進んだり、コンパスで方位を確認したりする必要には迫られませんでした。地形図を片手に、行く先々の地形と進行方向をイメージしながら歩けていれば、その通りに道があって迷うような場所もなく、バリエーションルートとしては難易度は低めだったと思います。

ということで、あとはひたすら林道を歩きます。ずっと未舗装なのを期待していたら、すぐに舗装道路に変わってしまったので、なるべく路肩などの土や枯れ葉が積もった上を歩いて、足の負担を和らげるようにしました。
まだ下界は結構低くに見えていて、その標高差は全部この林道で下ることになります。東側が開けた所から見えていたのは、2012年に歩いた雨乞山のあたりでした。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
しばらく進むと、北側が大きく開けた場所に出ました。
林道からの展望が、この日唯一の展望らしい展望だったというのは寂しい限りですが、高尾・陣馬エリアから、笹尾根が登り詰める三頭山まで、歩き慣れた馴染み深い山々を一望できて、なかなか楽しめる眺めでした。そしてその手前には、今まさに目指している三ヶ木バス停あたりの街並みも見えています。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。

林道を下り終えると、国道に出る手前が、またしても厳重なゲートで塞がれていました。
ゲートを乗り越えて振り返ると、なんと通行止めの標識があったので、実は歩行者さえも通行できない道だったことになります。ただ、二輪車の進入禁止なんかは、標識以外にも複数の注意看板が併用されて、くどいほど警告されていたのに、歩行者を規制するものはこの標識1つだけで、文章での注意は一切ありません(かといって通行可って訳ではなかったと思いますが‥‥)。それに、出口まで来てから言われてもなぁ。(※末尾に補足あり)
あとは国道をずっと歩いても三ヶ木バス停に出られますが、この青山交差点から右の細い道に入ってみました。
安養寺の境内を抜けていきます。距離的には国道を進むより若干短くなるものの、余計なアップダウンをすることになったので、どちらが楽なのかは微妙なところ。でも空気はこちらのほうがきれいだったと思います。
ゴールの三ヶ木バス停は、鉄道がないこの地域における公共交通の拠点です。多くのバス路線がここを起終点としていて、営業所が入った大きな建物と、路線別に分かれたホームがあり、待合所やトイレのほか売店まであって、バスターミナルと呼ぶのが相応しい施設になっています。バスの乗り継ぎで何度も利用していたこのバス停を、単純な乗車/降車目的で訪れるのは今回が初めてで、細い路地から出てきて裏側から入った関係上、ここに写っているのもターミナル裏側の様子です。次の橋本駅行きの発車時刻が迫っていたため、乗車を優先して正面側には回らなかったのですが、12分という短い間隔で運行されている路線なので、次を待っても良かったのかも。

(※補足) 最後に仙洞寺山林道を下る間、地形図には4地点から分岐する破線路が描かれています。このうち一番上の410m圏から東へ分岐する破線路だけは所在不明でしたが、それ以外の3本は実存を確認しており、いずれも分岐点付近で見る限りはそこそこ明瞭で、現在も歩かれている様子が窺えました。330m圏から北へ分岐する破線路が踏破できれば、通行止めとされている仙洞寺山林道を歩く距離を極力短く抑えることができそうです。
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大野山 [丹沢]

2017/03/04(土)

■第347回 : 大野山(722m)


この日は比較的近くの西丹沢で、行動時間が正味3時間足らずの、軽めの山歩きをしてきました。しかも人がまだ少ないうちに、静かな雰囲気を楽しもうと計画して、午前中のうちに歩き終えてしまっています。
行先に選んだ大野山は、登山を始めて間もない2006年3月に1度登っていて、単独行で訪れるのは今回が2度目。その後、グループ山行では2009年にも登っていたので、その時以来8年ぶりの再訪でした。

登りで歩いた山北駅からのコースは、最後の木段を除けば急な登りがほとんどなくて、歩きやすい快適な道がずっと続いていました。そして頂上から谷峨駅へ下るコースに入ると、林の中に終始してほとんど見通しのきかなかった登りのコースから一転、景色の開けた箇所が多くなります。富士山や近くの山々や太平洋の海原などが代わる代わる正面に現れて、それらを眺めながら、最後まで気分良く歩くことができています。

また、頂上部一帯が牧場となっているこの山は、牧草地が広がるおおらかな雰囲気の頂上も居心地が抜群でした。周囲が開けているためほぼ全方位の展望も楽しめて、改めて魅力的な山だと再認識した山行となっています。
(草原が広がる大野山の頂上。枯れ色に染まったこの時期は、少し寂しげな景色に見えてしまいますけれど)


(往路)
市営斎場入口 06:35-06:45 相模大野 06:58-07:37 新松田 → 松田
松田 08:04-08:13 山北

(登山行程)
山北駅    08:20
大野山入口  08:35
旧共和小学校 09:10
大野山    10:05-10:25
嵐      11:05
谷峨駅    11:25

(復路)
谷峨 11:42-11:56 松田 → 新松田 12:01-12:46 相模大野
相模大野 13:25-13:40 市営斎場入口


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この日はJR御殿場線の山北駅からスタートです。駅前で支度を調えている間に、同じ電車から降りたハイカー姿の人たちのうち、数人が大野山のほうに向かっていて、少し遅れてからその後を追って歩き始めました。
はじめは御殿場線の線路沿いを少し歩きます。桜並木が続いていたので、今月末頃に来れば綺麗だったのかな。
15分程で大野山入口バス停前を通過します。2006年の時は、新松田駅からここまでバスに乗って来たのでした。

その後もしばらく車道を歩いて、緩やかな登り坂を進みます。時折大型車も行き交うような二車線の道路ですが、段差付きの歩道が途切れることなく続いていて、危険を感じることはありませんでした。
車道のところどころからは、早くも大野山の頂上付近を視界に捉えることができました。目的地までの距離感を確かめながら登れる山は、ペース配分がしやすいですし、なにより近付いていく様子が励みになって良いですね。
東名高速道路の下をくぐると間もなく分岐点に出て、右に分かれる細い坂道に入ります。
その坂道は、人家が途絶えた先で一気に傾斜が増しました。かなりの急坂で、ゆっくり歩かないと登れません。

高台にある次の集落に出た所からは、富士山を眺めることができました。でもスッキリとは晴れなかったこの日、特に山間に入ると空気が霞んで、背景が白っぽい空になってしまい、あまり綺麗には見られなかったのですが。
さらに右を向くと、大野山の頂上が、すでにかなり近付いた景色として見えていました。
旧共和小学校の建物を横に見ながら進みます。鉄筋コンクリートのこんな立派な校舎を持つ学校なのに、廃校になってしまったのですね。ちなみに2011年3月の廃校で、私が以前に2回ここを通った時には、まだ現役でした。
旧共和小学校のすぐ先には、綺麗な公衆トイレがあります。2006年の時と同様、有り難く使わせて頂きました。

さらに10分ほど歩いた頃、待望の登山口に到着して、ようやく車道歩きから開放されました。
緩やかな傾斜が保たれている登山道はとても歩きやすくて、快調に足を運ぶことができます。
穏やかな道が続きます。傾斜が急になる箇所がなく、一定のペースで登れるので、ほとんど疲れを感じません。
はじめのうち道は林の中に終始して、景色らしい景色は見られませんでしたが、登っていくうちに少しずつ見通しがきくようになります。いつしか頂上部も、あともうひと頑張りで着けそうな見え方に変わっていました。
道はいつまでもなだらかで、頂上も間近に見えてきているだけに、このまま着いてしまいそうな気さえします。しかし過去2回登っている山のこと、こんな調子ですんなりと登らせてもらえないことは重々承知していました。

そう、この山は最後に試練が待ち構えているのです。いよいよ頂上部に差し掛かり、牧草地が広がる斜面が目の前に迫ったとき、それは忽然と現れました。(この写真でも、すでに牧草地と林との境に見えています)
その正体は、延々と続くこの木段です(実際には「延々と」と言うほど長くはないのですが、かなりの急登で段差も大きく、登るのが結構大変なので、長く感じてしまうのです)。ここは休み休み登るしかありません。
途中には「スカイツリーと同じ高さ 634mです」という標識が。ただ、振り返ってスカイツリーが見られるような場所ならばまだ分かりますが、そういう訳でもないので、いまいち意図していることが分かりません。
634mよりも高ければ、どんな山でも登る途中のどこかに必ず634m地点があるわけで、そんなありきたりの事を殊更に言うためにわざわざ標識まで立てた理由は一体どこにあったのでしょう。
まぁ、この写真を撮るために立ち止まったことが、つらい急登の途中でひと休みするいい口実にはなりましたけどね。もしかして、それが狙いだったのか?!

木段を登り切れば、そこはもう草原が広がる大野山の頂上部。登りはまだ少しだけ続きますが、この先は大きく開けた気持ちの良い景色の中を歩けます。
頂上の牧場は、昨年3月に県営牧場としては廃止となり民間貸与に移行されていて、夏に放牧される牛の数も僅かな数に減ってしまったようですが、牛のいないこの時期の景色は、以前とあまり変わらないのかもしれません。
開放的な頂上では、雄大な展望が楽しめるはずだったのに、これは少々残念な眺めです。平野部が割と良く晴れていたので期待していたら、山間に入ると雲が多くて、近くにあるはずの丹沢の山々ですら、その雲の中でした。
振り返って海を見ようとしても、ぼんやり霞んだ遠くは白っぽい空と同化して、良く分からない眺めでした。
最後は牧場の管理道を登って頂上へ。かつて県営牧場に維持管理されていた牧道は、現在も県によって整備されている模様です。さほど急な傾斜でもないのに、急な木段を登った直後なので、ここは足取りが重たかった‥‥。
牧道を登っている途中で、海側の景色が大きく開けました。頂上に着いてしまうと、海側の視界は少し狭まってしまうので、その前に海側の展望を楽しんでおきます。といっても肝心の海は空と同化して不明瞭ですし、その右側の箱根の山々も、一番手前の稜線が見えていただけで、その奥にある核心部の神山や駒ヶ岳は雲の中でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。

大野山の頂上に到着です。この頃はまだ、富士山の白い頂が、どうにか雲の上に出ていました(写真中央)。
頂上標柱の後方は、すぐお隣にそびえる不老山の稜線です(山頂は左端付近)。
この展望図付近が最高点だったでしょうか。ちなみに大野山は、三角点の標高値が国土地理院の2014年改定によって723.1mから722.8mに下げられていたので、この記録でも(一応)大野山の標高を722mと記載しています。
しかしその三角点は、最高点から少し離れて数mほど下った地点にあるため、大野山の場合、三角点の標高をそのまま山の標高とするのが実はあまり適当ではありません。国土地理院の最新の数値データによると、展望図付近には726mを超える地点があったので、実際の大野山の標高は、726mかそれ以上ということになりそうです。
草原が広がる、なんとも開放的な雰囲気の頂上です(冒頭と同じ写真)。今の時期はくすんだ色合いに見えますし、実際にも風が少し冷たくて寒々としていたのですが、緑一色になる夏に来て、寝転んだら気持ち良さそう。
20分程の休憩中、居合わせたハイカーは10人いたかどうか。早く来た甲斐あって、静かな時間を過ごせました。

あまりパッとしませんでしたが、頂上からの展望写真です。不老山や権現山の後方に、山梨県境のもっと高い山々が連なって見えていれば、それなりに壮観だったとは思うのですが‥‥(富士山も頂上部だけでしたし)。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
頂上だけが見えていた富士山は、上の大きな写真でも存在感が薄かったので、少しだけアップにしてみました。
丹沢湖のアップも、なんだか分かりにくい写り方がせいぜいでした。もう少しクリアに見えていればなぁ‥‥。
こちらは、上の展望写真よりもさらに右側を眺めた様子です。大室山や檜洞丸といった、西丹沢を代表する山々は、残念ながら雲の中でした。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。

頂上に着いて20分ほど経つと、富士山はほとんど雲に覆われて、写真にすると全然分からない位になってしまいました。登りで一度は暖まっていた身体も、寒風に吹かれて冷えてきたので、谷峨駅へ向けて下山を開始します。
谷峨駅へ下るコースは、はじめは背丈よりも高いササの中を抜けていきます。
しかしその後はすぐに景色が開けます。こちらの道は、登ってきた山北駅からの道がほぼ林の中に終始して、木々ばかりを見ながら歩いていたのとは対照的に、いろいろな眺めを楽しみながら下れる気分爽快な道でした。
眼下には、ゴールの谷峨駅も、すでに小さく見えていました(写真にマウスを乗せるとその位置を示します)。谷峨駅はこの先の登山道からもしばしば見通せて、少しずつ大きく見えてくる様子を確認しながら歩けています。
すっかり曇ってしまった富士山の方向です。でも天気が良ければ、この方向には富士山のほか、箱根や富士五湖周辺の山々を眺められるはずで、そんな景色を見ながら歩ければもっと楽しかったことでしょう。
登山道が向きを変えると、今度は前方いっぱいに海が広がりました。この日の実際の眺めは、こんなふうに海と空の区別が付かないくらい霞んでいましたが、明るい日差しの下、青く光る大海原を脳内で再生しつつ下ります。
途中には動物除けのフェンスが2回現れて、それぞれ扉部分を開け閉めして通過します。
景色のほかに特筆すべきことは、登ってくるハイカーを次々と見るようになったことです。グループの人たちも多く、かなりの人数とすれ違ったので、昼頃には頂上も結構な賑わいになっていたのではないかと。早出をして、人の少ない朝のうちに登っておいたのは正解だったようです。人の気配が濃厚になってしまってからでは、自然を強く感じることが難しくなりますし、なにより山は静かに楽しむに限りますから。

その後は、林道を横断して、さらに下ります。
林道を過ぎると樹林帯に入ってしまったので、景色の良い道は林道の上まででした。
その先で、一旦は舗装された歩道に迎えられます。
歩道から車道に出るところには、綺麗なトイレがありました。大野山は頂上のほか、登山道の途中にもこうしたトイレが設置されているのが有り難いですね。
車道に出るとすぐに山道が分岐して‥‥。
またしばらくの間は山道を歩くことができました。

嵐という集落に下り着いたところで山道は終わっていて、ここが谷峨駅側の登山口ということになります。
あとは車道歩きを残すのみ。車道からの眺めも、すっかり下界の風景に変わりました。ちなみに、雲がなければ写真左側に送電線と重なって富士山が見えるはずなのですが、この日はもう富士山は復活しなかったっぽいです。
谷峨駅も近くなって、駅舎のほか、線路とかもハッキリと見えてきました(縮小写真では分かりにくいですが)。
小さな橋で酒匂川を渡れば、ゴールはもう間もなくです。
谷峨駅は無人駅で、券売機すらありませんでした。ここで1時間に1本の電車を待ちます。
ホームの上には、先程までいた大野山が見えていました(頂上は奥に隠れて、厳密には見えていませんが)。

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丹沢表尾根(政次郎ノ頭まで) [丹沢]

2016/10/07(金)

■第334回 : 丹沢表尾根(政次郎ノ頭(1209m)まで)


平日のこの日は、丹沢の表尾根を縦走して塔ノ岳へ登り詰めるコースを計画して出掛けてきました。
自宅から近くにある丹沢は、登山を始めてすぐの頃には頻繁に通っていたのですが、それ故にその後すっかりご無沙汰になっていたエリアも少なくなく、表尾根コースも1年目の2006年以来実に10年ぶりとなる再訪です。

表尾根コースは、展望の良い開放的な稜線歩きが大きな魅力。しかし、この日の上空はどんよりとした曇り空で、丹沢核心部の山々はその雲の中でした。見通しがきかない稜線歩きでは、爽快感も半減してしまいます。
しかも2時間ほど歩いた頃には、シューズの靴底が剥がれそうになるというトラブルが発生。当然それ以降は登山を続けられず、エスケープルートから急遽下山するしかなくなって、消化不良気味の幕切れとなりました。

(往路)
市営斎場入口 06:50-07:05 相模大野 07:18-07:49 秦野
秦野 08:18-09:06 ヤビツ峠

(登山行程)
ヤビツ峠バス停 09:05
富士見山荘跡  09:25
二ノ塔     10:15-10:20
三ノ塔     10:35-10:45
烏尾山     11:05-11:15
行者ヶ岳    11:35
政次郎ノ頭   11:55
戸沢      12:55-13:05
大倉バス停   14:20

(復路)
大倉 14:22-14:37 渋沢 14:39-15:13 相模大野
相模大野 15:20-15:35 大野小学校入口


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ヤビツ峠へ向かうバスは、平日の朝は1本しかありません。とはいえ平日だから、30分も前から並べば十分だろうと思っていたら、秦野駅のバス乗り場にはすでに、1台では座り切れない程の列ができていて慌てました。
超メジャーなド定番コースだけに、年配の方々にも大人気で、なるほど定年退職組には曜日なんて関係なかったのです。幸いバスが2台出ることが分かり、2台目の列に並び直して、なんとか座って現地へ向かいました。

ヤビツ峠でバスを降りて歩き始めます。晴れるという予報に反して、すっかり曇っているのは残念ですが、日差しがない分だけ空気がヒンヤリとしていますし、風も涼しく吹いていたので、快適に歩くことはできそうです。
始めは車道歩きで、緩やかな下りが20分ほど続きます。火事で焼失した富士見山荘跡のT字路まで来て、さらに下って行く道路を見送って左折すると、ようやく登り坂に変わります。
登山口は、車道を登り始めてすぐの所にあります。ここからいよいよ山道が始まるのでした。

しばらくは木段の多い登りが続きます。このところ山行頻度がガクンと落ちたことで身体が鈍っているのか、今年の山行では足を攣ることが何度かあったので、息が上がらない程度のペースを保ってゆっくり登っていきます。
いかにも丹沢らしい登山道で、木段には段差の大きな箇所も多く、所々で小休止せずにはいられませんでした。
ガレ場を登るようになると、次第に樹木が減って景色が開けてきて、振り返れば大山や相模湾などを見渡せるようになります。このあたりまで来れば、二ノ塔まではもうひと頑張りといったところでした。
二ノ塔の頂上に着きました。ここはあまり展望がなく、お隣の三ノ塔が進行方向の近くにそびえて見える程度なので、少し息を整えたらすぐに出発しています。それにしても、上空の雲はこのまま取れないのでしょうか。

二ノ塔からの下りはわずかなもので、すぐに三ノ塔への登りが始まります。この区間も、二ノ塔までと同じように木段が多くて、少々しんどく感じられました。
三ノ塔に到着したら、ここから先は見通しの良い稜線が続きます。予報通りに晴れれば、素晴らしい展望が見られると期待していたのに、進行方向に現れるはずのもっと高い山々は、こんな感じで相変わらず雲の中でした。
丹沢の核心部ばかりか、周囲の山域にも雲が多くて、西側を見ても箱根の山々が辛うじて見える程度にとどまりました。条件さえ良ければ、富士山や南アルプスが望める場所なので、これにはガッカリです。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
東側も同様で、江ノ島が霞んで見えているのがやっと。伊豆大島や房総半島などは全く分かりませんでした。
  ※下の写真は山名ガイドを入れた縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。

三ノ塔での休憩後は、表尾根の続きを先へと進みます。次に向かう烏尾山(写真左手前)は三ノ塔よりも標高が低いのでさすがに見えていますが、その先は行者ヶ岳が見えているかどうか。できれば、塔ノ岳までの稜線が全部見えていて、その中を歩いて行く爽快感を味わいたかったので、それはまた次の機会の楽しみとなりました。
三ノ塔からの下りでは、真新しそうな木製階段を多く見掛けました。こうして整備して頂けることはとても有り難いのですが、とはいえここまで立派な階段だと、山歩きをしている気分ではなくなってしまうのが玉に瑕です。

烏尾山荘が建つ烏尾山に、間もなく到着です。この時も、上空は曇っているままでしたが‥‥。
おや、烏尾山の向こうにある山が見えてきているような!
そうです、ここに来てついに、最終目的地である表尾根のゴール、塔ノ岳が見えてきました(左奥のピーク)。
と喜んだのも束の間、すぐに、山歩きを楽しんでいる場合でない事態に気付かされて愕然としました。烏尾山のベンチに腰掛けての休憩中、ふと足元に目をやると、シューズのソールが剥がれ掛かっているではありませんか。
両足とも、かかとの真下部分の接着面があらかた分離して、一応は繋がっているけれど隙間ができている状況です。雑誌の記事等で、ソール剥離問題の存在は良く知っていましたが、まさかそれが自らの身に降りかかるとは。
ただ、完全に剥がれている訳ではなく、いつから始まったのかは分からないもののここまで普通に歩けてもいたので、丁寧に歩けばもう少し持ってくれるだろうと考えて、この時はまだ深刻に捉えてはいませんでした。

ということで、それからはシューズにあまり負担を掛けないよう、そろりそろりとした歩き方に切り替えます。特にねじる方向に力が加わるのは極力避けて、なるべくフラットな場所に静かに足を置くよう心掛けました。
そんな状況で、あまり楽しむ余裕はなかったのですが、進行方向を見ると次第に明るくなって、稜線歩きならではの爽快な景色が広がるようになっていました。奥に見えてきた塔ノ岳まで、無事にたどり着けるでしょうか。
  (下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します)
行者ヶ岳に到着すると、そこは数人で立ったらもういっぱいになりそうな、狭いピークでした。
ここで改めて靴底をチェックしてみると、最大限静かに歩いたつもりだったのに、烏尾山からの30分ほどの間に想像以上の早さで事態が進行していて、もはや右足のソールはかかと部分が完全に剥離していました。
こんなペースで悪化が進むとあっては、もうこれ以上歩き続けることなんて危なくてできません。すぐにでも山を下りたいところですが、そうするには、かなり山深い地点まで入り込んでしまっていたのが困りものでした。

行者ヶ岳で慌てて地図を広げて、最善のエスケープルートの選定に入ります。
安全な下山路がある地点まで引き返すとすれば、三ノ塔まで戻ることになりますが、その間にはかなりのアップダウンがあって、靴がどこまで耐えられるかが心配になりますし、三ノ塔からの下山路も結構距離があります。
むしろ、もう少しだけ先に進んで政次郎ノ頭まで行き、そこから下山路に入るほうが良さそうだと判断しました。政次郎尾根は1時間ほど下って戸沢に出るまでは山道ですが、そこから林道に変わるので、最悪戸沢まで靴が持ってくれさえすれば、残りの長い林道歩きは少々傷んだ靴でもなんとかできそうな気がしたからです。

行者ヶ岳の先で、小さなコブを2つほど越えて、クサリ場を下ります。普段ならクサリ場は絶対に写真を撮るところですが、もう靴のことだけが気懸かりで写真どころではなく、ただただ歩くことに集中していたと思います。
政次郎ノ頭に着くと、いよいよ塔ノ岳(写真左端)への距離が縮まりましたが、それを目前にここから撤退です。
政次郎尾根への分岐は、政次郎ノ頭を越えてわずかに下った所にありました(写真は振り返って撮ったもの)。
こんなことでもなければ、一生歩くことがなかったかもしれない政次郎尾根に入ります。まだ1時間ほどは山道が続くため、それまでは靴底を持たせなくてはならないので、1歩ごとに着地点を吟味しながら、慎重に足を置いていくことを繰り返しました。下りをこんなにゆっくりと歩いたことは、初めてではなかったかと。
どんな状態の道なのかが全く未知のまま、急遽歩くことになった政次郎尾根ですが、幸いにも全体を通して歩きやすく整備されていました。途中には、大きな段差が続く区間があったものの、長くは続きません。
あまり歩く人がなさそうに思われたコースなので(実際、この日は誰ともすれ違いませんでした)、荒れているのではないかという心配をよそに、実際には良く歩かれているようでした。この点については、帰宅後に「東丹沢 登山詳細図」を確認した時、このコースに「車を利用して、表尾根の核心部へ入る最短コース」との説明が書かれていたのを読んで納得しています。なるほど、バス派の私には思い付かない利用価値があったのですね。
キャンプ場関係の建物などが見えてくれば、間もなく山道は終わります。
戸沢の政次郎尾根への入口に着きました(振り返って撮影しています)。
丁寧に歩き通したからか、靴底の剥離が大きく広がることはなく、右足だけ、かかとの下部分が剥がれているという状況で踏みとどまってくれました。大事には至らずにホッと胸を撫で下ろしています。

戸沢からは長い林道歩きが続きます。沿道にはほとんど何もなく、ひたすら退屈なことは否めませんが、今回は林道を歩けることをメリットとしてこのコースを選んで来たので、甘んじて受けるしかありません。
林道を1時間以上歩いて、秦野戸川公園内に入れば、もう大倉バス停は目と鼻の先です。あとは吊り橋を渡るだけというところで、吊り橋の手前にベンチがあったので、そこで靴の状態について最終確認をしました。
林道に出られた安心感から、その後はあまり丁寧には歩かなかったので、右足はさらに剥離が進んで、1歩ごとにかかと部分からペタペタと音がする状況でした。それでも、土踏まずよりも前の部分には剥離が及んでおらず、ソールが完全に分離する心配はなさそうです。かといって、このあとは人の多い場所に出てバスや電車に乗るので、さすがにこのままという訳にもいきません。試しに応急セットに入れていた絆創膏を使ってみたら、結構しっかりと繋げてくれて、見てくれは少々悪いものの、その状態で自宅まで問題なく歩くことができています。
ところで左足のほうは、最初に烏尾山で気付いた時の状況からあまり変化はなく、かかとの下に隙間がありつつも、一応は繋がっている状態が保たれていたので、帰宅するまで特段の手当ては必要ありませんでした。
なお参考までに、このシューズはファイブテンのアプローチシューズ「キャンプフォー」で、購入は2009年5月。すでに7年目に入り、現在使用している何足かのシューズの中で最も古株になっていたので、まぁ仕方ないか。

靴の手当を終えたら、この「風の吊り橋」を渡って大倉バス停へ。発車間際のバスに駆け込む形になったので、珍しくバス停の写真は取り損なっています。


【 後日追記 】
絆創膏で応急措置した後のシューズはこんな感じです。
写真にマウスを乗せると左シューズの剥離範囲を示しますが、左足の剥離が内側だけだったのに対して、右足は内側も外側も剥がれたので、最終的には足上げの度にかかとの下が開いてパタパタと音がする状況になりました。
このシューズは、アウトソールの部材がヒールカップを巻き込むようにして上までせり出している珍しい構造をしていて、それゆえ絆創膏で1箇所だけ繋げれば十分に固定できたのが幸いでした。
左シューズの内側はこんな具合です。写真にマウスを乗せた時に色で示す範囲に隙間が生じていますが、その隙間が靴の中央付近まででとどまり、反対側には及んでいなかったために、パカッと口が開くには至らずに済んでいました。(最初に烏尾山でこの事態に気付いた時点では、まだ右シューズもこれに似た状況だったのです)
なお、ソールの剥離はかかとの部分だけに生じていて、つま先から土踏まずにかけては左右ともに無傷でした。
それにしても、こうして見ると単にアウトソールが剥がれただけでなく、ヒールカップもかなり損傷しているのでした。恐らくは出掛ける前に靴の状態をしっかり確認していたら、その時点で気付くことができたのでしょう。
最後に、左シューズの外側の様子です。この写真でも、マウスを乗せた時に剥がれた範囲を示すようにしましたが、こちら側には影響がほとんど及んでおらず、外側だけを見ても、異状がある靴だとは分からないのでした。

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