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太平山・晃石山・岩船山・三毳山 [栃木]

2016/12/30(金)

■第341回 : 太平山(341m)・晃石山(419m)・岩船山(172m)・三毳山(229m)


今年の登り納めは栃木県の最南部へ。登ってきたのは、関東平野の辺縁にあたり、広大な平坦部が栃木県内に入って間もなく起伏が付きはじめる、その最前衛に位置する山々です。
標高はまだまだ低いエリアですが、5つのピークを次々と極めることにしたので、ロングコースの歩き応えは十分。しかも途中には無名のコブが多数あって、それを越えるためのアップダウンも何度も繰り返される、体力的にもタフなコースでした。このため今回は写真の点数が増えて、少々長い記録となりましたがお付き合い下さい。

(往路)
古淵 04:45-04:49 町田 04:55-05:38 新宿
新宿 05:41-05:59 神田 06:04-06:14 浅草
浅草 06:20-07:34 新大平下

(登山行程)
新大平下駅  07:40
謙信平    08:25-08:30
太平山神社  08:40-08:45
太平山    08:55-09:00
晃石山    09:35-09:45
馬不入山   10:30-10:40
岩船山    11:40-11:50
かたくりの里 12:35-12:40
三毳山    13:10-13:20 (青竜ヶ岳)
三毳山(中岳) 13:45-13:50
道の駅みかもバス停 14:10

(復路)
道の駅みかも 14:46-15:20 静和 15:50-16:20 南栗橋
南栗橋 16:32-17:18 北千住 17:25-17:37 秋葉原
秋葉原 17:42-17:44 御茶ノ水 17:47-17:57 新宿
新宿 18:01-18:43 相模大野 18:50-19:01 大沼


大きなマップで見る

今回のスタートは東武線の新大平下駅です。浅草駅06:20発の会津田島・東武日光行き快速を初めて利用したところ、こんな時期だからか始発の浅草では発車間際でも余裕で座れましたが、北千住からだと着席は運次第でした。
歩き始めて間もなく、沿道の建物が途切れると、畑地が現れた先にこれから歩く稜線が見渡せました。ただこの時は、太平山~馬不入山が全部入っていると思っていたのに、太平山はもっと右に離れて見えていたようです。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
当初渡る予定だった踏切が工事による全面通行止めで、少し迂回してこの踏切を渡りました。ところで、目指している山や神社が「太平山」なのに対して、山麓の地名や駅名は「大平」(この踏切も「大平山踏切」)で、このあたりの地名はちょっとややこしいです。なお踏切の背後は太平山ではなく、それを隠している前山の模様。
新大平下駅から20分ほどの車道歩きで、太平山の下皆川登山口まで来ました。(ブレブレの写真ですみません)

登山道は石段で始まりますが、その脇には若干のジグザグを描いて並走する山道と、九十九折りで傾斜を大幅に抑えた山道があり、前者の山道を登っていきます。この写真は、少し登って斜面の傾斜が緩み、その3者が合流した後のもの。まだ朝早いので静かだろうと思っていたら、すでに何組もの登山者が登り下りしていました。
その先で車道を横断した後も、傾斜は緩やかなままで、歩きやすい山道が続きました。
再度車道に出たところで山道は途切れていて、また少し車道を歩かされます。

上の写真の右カーブを曲がったら、すぐ先が謙信平でした。左手の斜面側は見晴らしが良くなっていて、ベンチなどがズラリと並んでいます。一方の右手側には駐車場や茶店などが続いていました。
謙信平からは関東平野が一望できました。霧が出た時に、眼下の小さな山々が海に浮かぶ小島のように見えることから、この眺めは「陸の松島」とも言われています。それを楽しむには、天気が良すぎてしまいましたが‥‥。
あとで登る予定の岩船山と三毳山のほか、はるか遠くの富士山も見えていたので、上の写真の中央やや右寄りの部分を拡大しました。  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
謙信平には展望台もありました。とはいえ、手前には障害物など何もなくて、今いる高さからもスッキリと眺められていますし、この程度の高さではそう景色が変わるとも思えず、登らないでスルーしてしまいましたけれど。

さらに車道を進んで、現在は太平山神社の神門となっている随神門まで来ました。
随神門は1723年の建築で、その当時、太平山神社の下にあった寺院の仁王門として建てられたものだとか。とても立派な造りで、車道の幅いっぱいに下がっても、正面からは全体をカメラに収めきれませんでした。
随神門をくぐると、神社の境内まで長い石段が続きます。
休み休み石段を登り、ようやく境内が見えてきました。
太平山神社は827年の創建と伝えられる歴史ある神社で、徳川将軍家の信仰が極めて篤かったとされています。
現在も多くの信仰を集めているようで、朝早くから登山者以外にも何人もの参拝客が訪れていました。

太平山山頂や晃石山へと続く登山道の入口は、本殿の右手側へ、いくつかの境内社を見ながら歩いた場所にあります。この登山道は、少し上にある太平山神社奥宮への参道も兼ねていて、分かりやすい案内が立っていました。
途中で太平山神社の奥宮を横目に見るあたりまで穏やかだった道は、山頂の手前でやや急な登りに変わります。
太平山の山頂には富士浅間神社が建っていました。さほど広さはなく、周囲の樹木に阻まれて展望も皆無です。
神社の裏手が少し高くなっていて、そこが最高点らしかったので、踏み跡を追って登ってみます。
最高点はとても狭くて、私製の山名標が樹木に掛けられていただけの、何の面白味もない場所でした。
何もない最高点ではすることもなく、すぐに富士浅間神社に戻りましたが、そこでも長居はできません。というのも、この朝は冷え込みが厳しかった上に、強風が吹き荒れていて体感温度がとても低く、動いていないと身体が冷えて仕方なかったからです。このため、ほとんど写真を撮っている間だけの滞在で、太平山を後にしました。

次の晃石山を目指して進むと、太平山直下はこちら側も急坂でしたが、その後は穏やかな道に変わりました。
10分ほどで「ぐみの木峠」を通過すると、晃石山への登り返しが始まります。
すると、いくつかのコブを越えながら進むようになりました。といっても、このあたりのアップダウンはまだまだ小さくて、体力的な負担はあまり感じないで済んでいます。
前方にベンチ発見。
ベンチの置かれた場所では、東側が大きく開けていて、先週登ったばかりの筑波山が霞んで見えていました。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
その後、「関東ふれあいの道」は晃石山を巻いてしまうので、晃石山を踏んでいくには、その手前で分岐する尾根通しの道に入ります。この区間は道が細くなって、距離は短いものの少々急な登りになりました。

晃石山の頂上には三方向から道が通じていました。私は東西に横断する最短距離ルートを選びましたが(写真右奥から登ってきて左奥へ下る)、南から登ってこの鳥居をくぐるルートが、一番道がしっかりしていたようです。
上の写真がほぼ全景という、やや手狭な印象の頂上には、南側直下にある晃石神社の祠(奥宮?)と大きな標石の一等三角点が設置されていて、ベンチも2脚置かれていたほか、私製の山名標や展望図などがありました。
この日の最高点からの展望を楽しんでいきます。こちらは、先ほど謙信平から眺めていたのとほぼ同じ南西側。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
振り返ると、北側には日光方面の山々が見えていました。
北側はかなり霞んでいたものの、男体山などが辛うじて見えていたので、上の写真の中央付近を拡大しました。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。

晃石山から桜峠方向に直接下る道は、頂上直下の短い間がちょっとした急降下でした。岩の露出や大きな段差などがあって、何度か補助的に手を添えて下っています。そして頂上を巻いてきた道に合流すると、険しい箇所がなくなる代わりに、アップダウンが連続するようになりました。こんな風に、下ったらまた登る、の繰り返しです。
このような小ピークをいくつも越えていきます。どれも決して大きなアップダウンではありませんが、それが何度も繰り返されるので、足に疲労がじわじわと溜まってくる感じでした。
しばらく続いたアップダウンが収まって、穏やかな道になりました。地形図を見ながら歩いていて、この先の桜峠までは下る一方だと分かったこともあって、少しホッとした瞬間です。
ところが現実はそう甘くはなく、その下りが急斜面で、これっぽっちも楽ではありませんでした。大きな段差や足元の悪い箇所がたびたび出現し、何度か手すりに頼るなどして難儀させられたのです(しかも長かった!)。
さらに、これは結果論であとになって分かることですが、この日のコースでここから先に現れる下りは例外なく急降下ばかりだったので、登りはともかく下りの区間に入ると、少しも息を抜けなかったのでした。
長い急坂をなんとか下り切って、桜峠に着きました。ヤレヤレ。
桜峠から馬不入山への登り返しもまた、単調な登りではなく、何度となくアップダウンが繰り返されました。

馬不入山は、この日に登った5座の中で一番広くて景色も良く、ゆったりとして開放的な頂上でした。また晃石山を過ぎると登山者が少し減った印象がありましたが、ここでは居合わせる人もなくて頂上を独占できています。
南西側を眺めると、最後に登る予定の三毳山の上に、富士山がまだどうにか見えていました。
そして北西側の木々の間には、先程までいた晃石山が見えていました(樹木がすべて葉を落としたこの時期限定の眺めでしょうね)。中央でギザギザしている稜線の右端のピークが晃石山で、そこからそのギザギザを経て馬不入山までやって来たのですから、道理でアップダウンが繰り返された訳です。
雰囲気の良い頂上を独占していたので、ゆっくりする手もあったのですが、この時間になっても冷たい強風が唸りを上げて吹き荒んでいます。長く休むと寒くなってしまいそうなので、ここでの休憩も10分で切り上げました。

馬不入山からの下りは、いきなり急降下で始まりました。それもただ傾斜がきついだけでなく、降り積もった落ち葉が滑りやすい上に、落ち葉で見えない地面では石がゴロゴロしていて、足を取られないよう慎重に下るしかありません。しかもそんな状況が断続的にしばらく続いて、この日一番の緊張をさせられた箇所となっています。
かと思えば、やや大きめな登り返しが現れて‥‥。
コブを越えた途端に急降下が再現されます。この先は木段が整備されている区間が多くなって、危険は少なくなったのですが、急降下ばかりが続くことには変わらず、しまいには膝が笑いそうになったほどでした。
樹木の間に灰色の舗装道路が見えてくれば、長かった急降下も残り僅か。結局最後のほうはずっと木段でした。

車道に降り立ったところで、太平山~晃石山~馬不入山と続いた稜線歩きは一旦終了となり、ここからは、ともに独立峰である岩船山と三毳山をそれぞれ登り下りする形になります。
まずは岩船山に向けて車道を進んでいくと、溜め池を挟んで岩船山が姿を現しました。ただこの時間は逆光だったため、霊山とされる岩船山の、絶壁がそそり立つ異様な山容が伝わらない写真になってしまったのが残念です。
岩船山がほぼ真横の方角に迫ったら、「岩船山頂 登り口」の看板に従ってT字路を右折します。「関東ふれあいの道」は馬不入山から下ったら岩舟駅を目指してここを直進していきますし、最寄りの岩舟駅側から岩船山を目指す場合も裏手に当たるこちら側から歩くことは想定されていないようで、ここに登山者用の道標はありません。
ほどなく岩船山の斜面に取り付いた道路は、九十九折りを繰り返しながら、頂上直下まで登ってしまいます。

ということで、車道歩きだけで頂上直下にある高勝寺の仁王門前に来てしまいました。この時、岩船山の頂上部には、私以外にほとんど訪れた人がいなかったようで、相変わらず強風が吹き荒れているのを除けば静かでした。
少しだけ石段を登って、高勝寺の本堂前へ。高勝寺は771年の開山(※)と伝えられる古刹で、岩船山が死者の魂や霊魂が集まる場所だとされたことから、「関東の高野山」と呼ばれるなど一大霊場として栄えていたらしい。
  ※Wikipediaは「宝亀8年(775年)」としているが和暦年と西暦年が不一致
岩船山の頂上に向かうべく、孫太郎尊本殿への案内に従って、高勝寺本堂裏手の石段を登っていきます。
孫太郎尊本殿の前は小広場になっていました。整備された道で登れるのはここまでなので、一般的にはここを岩船山の頂上とするのが適当だと思われます(標高も三角点の地点と大差ありません)。以前はフェンスがなかったらしいのですが、その先で絶壁の崩落が進んでいる模様で、現在はフェンス外に出ないほうが良さそうです。
とはいえ最高点の様子も気になるところです。上の写真の撮影地点で振り返ると、もう少しだけ高くなった一角が目に入りました。そこには無数の卒塔婆が林立して、いかにも霊場といった雰囲気を醸し出しており、入るのがやや躊躇われます。しかし最高点をみすみす見過ごすこともできず、適当に分け入ってみることにしました。
すると、卒塔婆が林立する一帯を抜けたあたりで、今はあまり歩かれてなさそうな古い踏み跡を拾って進めるようになり、すぐに「見晴台」とされる地点に出ました。周囲の様子から、ここが岩船山の最高点のようです。
錆びかけた柵の先は、すぐさま絶壁となって切れ落ちていて、展望はなかなかのもの。そしてその絶壁の“へり”で、探していた三角点も見つかりました。それは一般的に見られる石標の三角点ではなく、コンクリートの穴の中に金属標が埋め込まれた珍しい形状のものでした(下の写真にマウスを乗せると三角点の位置を示します)。

三角点も確認できたことですし、岩船山の頂上を後にします。岩舟駅側に向かって高勝寺の境内を進んで行くと、立派な三重の塔に見送られました。
境内の南端には広場があって、ここでも展望が楽しめました。樹木の間から見えているのが、次に登る三毳山。
広場からの下りは、全区間が石段でした。表参道に当たるこちら側は石段ばかり、他方、今回登りに使った裏参道は車道ばかりということで、岩船山が一般的に登山の対象とされていない最大の要因はこのあたりにありそう。
石段の途中には、三毳山をいくらかスッキリと眺められる場所がありました。
石段は約600段あったらしいのですが、段差が歩きやすくできていて、下るのはさほど苦ではありませんでした。
車道に出たところから岩船山を振り返ると、ストンと切れ落ちた絶壁が大迫力でした。なお岩舟駅から岩船山・高勝寺に向かう場合、普通はここから登り始めることになります。600段の石段を登るのは大変そうですが‥‥。
ここまでで登り下りの累積がそれぞれ1000m近くなっていることが事前に分かっていたので、もしも疲労が進んでいたら、ここから岩舟駅に直行して帰路に就くことも考えていたのですが、まだまだ余力は十分そうです。

ということで、最後の三毳山に向けて車道を歩いていくと、正面の三毳山がだんだん大きくなってきました。
両毛線の踏切を渡る途中で岩船山を振り返ると、岩肌が露出して断崖絶壁に囲まれたその異様さが良く分かる眺めになっていました。そもそも、山の形が船に似ていることから名付けられたとされる山ですが、江戸時代から始まった岩船石の採掘が現在もなお続けられていて、このような無残な姿に変わってしまったらしい。
約1時間に及ぶ車道歩きを経て、ようやく三毳山への登山口となる「かたくりの里」への入口まで来ました。
「かたくりの里」の管理センター前に到着すると、建物内はひっそりとしていたので、年末の休業日だったのでしょう。でも外にあるベンチは使えたので、腰掛けて少し足を休めていきます。
というのも、岩船山から下り終えた時点で体力には余裕があると感じていたのに、それから1時間車道を歩いたら足が予想以上に疲れてしまったのです。やはり、路面が硬い舗装道路は足への負担が大きいのですね。

少々の休憩では大して回復するはずもなく、疲労感を引きずったまま三毳山への登山道に入ったら、緩やかだったのは最初のうちだけで、その後は木段が連続するようになりました。疲れた足には結構こたえます。
しかも登るにつれて傾斜が増して、段差も大きくなっていきます。かなりペースを落とさないと登れません。
さらに頂上に近付くと、岩がゴロゴロしはじめて足場も悪くなり、もう数歩ごとに休みながら登る具合でした。

それでも、少しずつでも歩いていれば、ちゃんと頂上に着くものですね。
三毳山の最高点、青竜ヶ岳です(三毳山には、少し離れて三角点峰の中岳もあるので、別名を併用して区別します)。青竜ヶ岳は狭い頂上部の大半を電波施設が占有していて、登山者は肩身の狭い思いをさせられるのでした。
ですから展望も、電波施設がない側にほぼ限られます。こちらは西側の眺めで、遠くは霞んでいたものの、南のほうは奥秩父の手前くらいまで見えていました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
北側の日光方向は、晃石山にいた頃よりもいくらか良く見えるようになっていました。
ということで、晃石山と同様に男体山周辺を少し大きく写してみました。でも実は男体山などは、このあと下山してからのほうが、もっとクッキリと鮮明に見られるようになったのでした。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。

三毳山・青竜ヶ岳からの下りも、かなり急で足場もよろしくない箇所が多く、疲労の蓄積から次第に踏ん張りが利きにくくなりつつある足で快調に下るのはとても無理で、安全第一で1歩1歩を踏みしめるように進みました。
それでも急坂を下り終えると、その後は良く手入れされた道に変わって、とても歩きやすくなります。栃木県が都市公園として整備した「みかも山公園」内に入ったようで、次第に休憩舎等の施設も目立つようになりました。
公園内には車道も縦横に張り巡らされていて、3度目の車道を横断した先から、中岳への登りが始まりました。
中岳への道も、木段の急な登りとなって、再びペースダウン。ただ、それほど長い登りではありませんでした。
三毳山の三角点峰、中岳に到着しました。これで、この日予定していた全てのピークを踏んだことになります。

中岳から少し下ったところには、ハングライダー/パラグライダーの離陸場があり、東側が大きく開けていたので、筑波山や加波山などが見渡せました。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真は こちら です。
さらに進むと三毳神社の奥社に出ます。ここはちょっとしたピークになっていて、手前には僅かながら登り返しがあり、あとは下るだけだとばかり思っていたから少し凹みました。ま、脇道に入ればスルーすることもできたのに、意地で敢えて尾根道を歩き通したのでしたが。
奥社の境内からは、ようやくゴールの「道の駅みかも」が見えてきました。今度こそ、ここを下るだけです。
しかし、この下りがとてつもなく急でした。最初の区間こそ、良く整えられた階段でしたが、その先は容赦ないほどの傾斜になるのに、道が結構荒れていたりして、足元に注意が必要な箇所も多かったです。
そんな急降下に最後まで煩わしい思いをさせられた末に、なんとか三毳神社の里宮まで下ってきました。
右を向けば、もう道の駅が目と鼻の先です。

ゴール地点の「道の駅みかも」です。「みかも山公園」内ではほとんど人の姿を見なかったのと対照的に、こちらは結構な人出で賑わっていました。
バスが来るまで少し時間があったので、レストランで「ハヤシライス」を注文して待ちます。880円はちょっと高いなぁ、と思っていたら、もっとお洒落な店でなければ出てこないような割と本格的なものが出てきたのが意外で、美味しかった上に量もタップリでしたし、さらにポテトサラダと果物とデザートにコーヒーゼリーまで付いてきて(それぞれ量は少なかったけれど)、十分に満足できる内容でした。
「栃木市ふれあいバス」のバス停は建物の目の前にありました(上の写真にも写っています)。私は東武線の静和駅まで利用しましたが、栃木駅や岩舟駅に向かうことも可能です。ここを発車した時点で私だけだった車内には、その後次々と地元住民らしい方々が乗ってきて、地域の足としてしっかり定着している印象を受けました。

タグ:栃木
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筑波山 [茨城]

2016/12/18(日)

■第340回 : 筑波山(女体山(877m)・男体山(871m)


この日は、単独行では10年ぶりとなる筑波山に行ってきました。一般的には、中腹にある筑波山神社やつつじヶ丘までバスやマイカーでアクセスして、そこから上の登山道を歩くことになる山なのですが、今回はその裾野とすら言えないような完全な平野部を起終点として、ほぼ筑波山の標高分をまるまる登り下りしています。

※なお登頂後は裏登山道で北麓に下りましたが、かつて筑波山の北側を走っていた路線バスは全て廃止されてしまい、つい先日までならば帰りの足が何も無くて途方に暮れたところです。しかし、この10月から桜川市が真壁と筑波山口を結ぶ路線バスの実証実験運行を開始していて、それを利用することでこの計画が可能となりました。

(往路)
古淵 05:15-05:19 町田 05:42-06:11 代々木上原
代々木上原 06:16-06:50 北千住 06:57-07:39 つくば
つくばセンター 07:50-08:35 北条仲町

(登山行程)
北条仲町バス停 08:40
普門寺     08:55-09:00
石鳥居     09:25-09:30
筑波山神社   09:45-09:50
弁慶茶屋跡   10:55-11:05
女体山     11:35-11:40
男体山     12:05-12:10
ユースホステル跡   12:40
筑波高原キャンプ場  13:00
登山口(裏登山道)  13:30
桜川市役所真壁庁舎  14:30

(復路)
桜川市役所真壁庁舎 15:10-15:38 筑波山口 15:50-16:36 つくばセンター
つくば 16:55-17:40 秋葉原 17:47-17:49 御茶ノ水
御茶ノ水 17:49-18:00 新宿 18:01-18:43 相模大野
相模大野 18:50-19:01 大沼


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つくばエクスプレスを終点まで乗り、地下駅のつくば駅で下車したら、地上に出てバスセンター(つくばセンター)でつくば市のコミュニティバス“つくバス”の「小田シャトル」に乗り継ぎます。
帰りも“つくバス”の別路線に乗るので、車内で1日乗車券を購入しました。

2年前に登った宝篋山を車窓に見ながら揺られること45分、北条仲町で下車します。こちらは進行方向の風景。
振り返ると、すぐ近くに見える交差点が「つくば道」の起点で、左折方向を大きな石の道標が示していました。
交差点から「つくば道」に入ります。左側に立つ石標には「これよりつくば道」と彫られていて、江戸時代からのものだとか(上の写真でも、左端に小さく写っています)。奥のほうで遠くに見えているのが筑波山です。
古くから筑波山神社の表参道として歩かれていた道は、現在は「日本の道百選」に選定され親しまれています。

はじめのうちは、なんてことのない舗装道路でした。「つくば道」起点付近の標高は約15mなので、これから筑波山の標高分をほぼ丸々自分の足で登ることになります。
田井郵便局の手前で北側の景色が開けると、雪化粧した日光方面の山々が見えていました。いい天気だったのに、このあと筑波山の頂上にいる間だけ曇ってしまったので、結果的にこれがこの日唯一の遠望となっています。
  ※下の写真にマウスを乗せると山名ガイドを表示します。
歩き始めて15分ほど、右手に現れた普門寺に、トイレの利用がてら寄ってみます。
普門寺は鎌倉時代の開山と伝えられる古刹で、火災により焼失した本堂が2年前に再建されたばかりでした。

神郡の集落に入ると、古い土蔵造りの家々があちこちに残っていました(いい写真が撮れなかったのですが)。
すでに3kmほど歩いているにもかかわらず、ここまで平坦な道に終始して全く高度を稼いでいないので、行く手には筑波山がどんどん大きく立ちはだかって見えるようになります。
また、縮小写真では分からなくなりましたが、中腹では筑波山神社の朱塗りの大鳥居が良く目立っていました。
神郡集落を抜けて建物がなくなると、のどかな田園風景の先に、大きく裾野を広げる筑波山の全容が見られるようになりました。離れた場所から長い距離を歩いているからこその眺めで、このあと筑波山が少しずつ近付いてくる様子を実感しながら歩けたのは、登山のプロローグとしてなかなか秀逸なコースだったのではと思っています。
ところで、現地ではあまり気にしていなかったのですが、写真になったものを改めて見てみると電線が大いに邪魔だったので、左右どちらかの脇道に入った所から撮るのが正解だったのでしょう。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
ようやく登り坂が始まると、間もなく「一の鳥居」の下をくぐります。でもその前に、右側にある小さな公園で、ベンチに腰掛けて小休止していきました。厳しかった朝の冷え込みから一転、この頃になると気温がグンと上がり、登り坂で汗ばんできたので、今シーズン初めて着用した冬用のジャケットは、ここで不要になっています。

「一の鳥居」を過ぎると、次第に傾斜がきつくなりました。それもそのはず、古い案内書では、このあたりから先に「石段が随所に現れる」などと書かれているのです。きっと、沿道の住民が車で通れるようにと舗装されたのでしょうが、道形は石段の頃と全く同じなので、そりゃ急になるわけです。そんな訳で、実際に車の往来が結構あって、必ずしものんびりと歩いてばかりはいられず、やや情緒に欠ける道となっていたのは少々残念でした。
それでも最後のほうには、少しだけ石段が残されていました。ここまで来れば、もう筑波山神社はすぐ先です。
石段の区間では、旧筑波山郵便局の前を通過していきます。昭和初期の洋風建造物で、中を覗いてみると、奥の部屋は畳が敷かれた和室になっていました。今でも、イベント時には内部が公開されたりするらしい。
2車線の道路を横断して、さらに石段を上がり、土産物店が並ぶ一角に出ると、前方に筑波山神社が見えてきます。ここまでは、自分以外のハイカーの姿を一切見ることなく歩いて来ましたが、ここでバスやマイカーなどでやって来た人達と合流して、一気に観光地っぽい雰囲気に変わりました。鳥居の上は女体山の山頂です。
筑波山を御神体とした筑波山神社は、ここから上の筑波山南面全体が境内です。男体山・女体山それぞれの頂上に本殿があって、ここにあるのは拝殿。年2回の大祓の時期にあたり、拝殿前には茅の輪が設けられていました。

筑波山神社からは、まだ歩いたことのなかった白雲橋コースで女体山を目指します。神社の東側から一旦一般道路に出て、少し進んだところにある登山道の入口にも、鳥居が立っていました。
白雲橋コースは、階段状になっている区間が多くの割合を占めていた印象です。
しばらくの間は常緑樹が主体の森を進みます。この時期の山歩きは、冬枯れの寒々とした景色に囲まれることが多いのですが、このコースはかなり上まで緑の中を歩くことができました。
筑波山神社から15分ほどで、つつじヶ丘へ向かう迎場コースを右に分けます。

すると、その後は次第に斜面の勾配がきつくなって、登山道にも急な登りが多くなりました。
標高が上がるとともに、岩の露出が目立ってきて、岩塊の間をすり抜けるような箇所も増えていきます。
弁慶茶屋跡の広場まで来れば、あとはもうひと頑張り。たくさんあったベンチに腰掛けて、少し息を整えていきます。ここで、つつじヶ丘からの登山道を合わせたことで、ここから先は登山者の数がさらに多くなりました。

弁慶茶屋跡から先は、奇岩怪石が次々と現れて目を楽しませてくれます。その先陣を切るのが“弁慶七戻り”。
何かの拍子で落ちてきそうな大岩の下をくぐり抜けるこの場所、かの弁慶も行きつ戻りつ7回も迷ったとか。
こちらは“母ノ胎内めぐり”。この後も“出船入船”や“北斗岩”など、曰くありげな巨岩の出現が続きます。
奇岩怪石エリアを抜けると一旦傾斜が緩みます。落葉した木々の間に、目指している頂上が間近に迫っているのが見えて励まされた一方で、せっかく天気が良かったはずなのに、ここにきて曇ってしまったのが残念でした。
頂上直下は急な岩場の通過が多くなって、行き違いによる渋滞もしばしば発生していました。

女体山の頂上に到着しました。ここには筑波山神社の女体山本殿が鎮座しています。
筑波山は女体山と男体山からなる双耳峰で、最高点の女体山頂に、日本百名山の標柱が立っていました。
三角点も女体山頂に設置されています。
すぐ下にロープウェイの駅があるため、ここには登山者だけでなく観光客も次々とやって来ます。
しかし露岩が折り重なる女体山の頂上部は、ただでさえ狭い上に、安定した体勢で立てる場所がそう多くはなく、限られたスペースに人が入れ替わり立ち替わりするので常にラッシュ状態でした。
このあたりが最高点だったでしょうか。
基本的には良く晴れた1日だったのですが、頂上にいる間だけは雲がかかって、あまりスッキリとした展望は楽しめませんでした。こちらは南東側の眺めで、一番奥の稜線の右端が2014年に登った宝篋山、その左上では霞ヶ浦の水面が光っています。左下隅は、駐車場とロープウェイの乗り場があるつつじヶ丘。
西側には、双耳峰のもう一方・男体山が間近に見えていました。もちろん、これからそちらにも向かいます。

女体山からは一旦下って、男体山との鞍部に当たる御幸ヶ原へ。ここにはケーブルカーの駅があり、いくつかの土産物店が軒を連ねていて、その上が次に向かっている男体山です。
御幸ヶ原から男体山への登りは、ほとんどが階段状の山道で、ちょっとした岩場が上のほうにだけ現れました。
間もなく男体山に登頂です。こちらも狭い頂上の大半を神社が占めていて、人が立てる場所は限られています。
鎮座していたのは、言うまでもなく筑波山神社の男体山本殿です。
男体山からの展望は、元々女体山ほどではないのですが、曇っていたことでさらに残念な感じでした。

双耳峰をともに極めたら、御幸ヶ原に戻ります。先程とは進行方向が逆なので、正面に見えているのは女体山。
御幸ヶ原からは、曇り空の下に、北側の近い範囲は割ときれいに眺められました。2011年にロングルートを縦走した、足尾山~加波山~雨引山と続く稜線や、昨年の初歩きで登った吾国山などを見渡せています。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。

今回が3回目となった筑波山、これまで南側の登山道しか歩いていなかったので、今回は初めて北に下ります。御幸ヶ原からユースホステル跡へ向かう登山道の入口は、土産物店が並ぶ一角の外れでひっそりとしていました。
登山道は、土産物店街の裏から始まります。ロープウェイやケーブルカー利用の観光客も多く訪れる南側が賑わっているのとは対照的に、北側に下るとアクセスが極めて不便になってしまうため、一気に静かになりました。
ユースホステル跡への道が山道だったのは、最初のほんの数分だけでした。その後はずっと車道を下るようになってしまい、しかも路面が荒れていたりして、あまり気持ち良くは歩けません。これなら、女体山から筑波高原キャンプ場に直接下る登山道を選ぶほうが正解だったのかもしれません。御幸ヶ原から女体山に登り返すのを嫌って、こちらのルートに決めたのでしたが、リサーチ不足で選択を誤ったようです。
ユースホステル跡に建物は全く見られず、ただ駐車場があるだけでした。

ユースホステル跡から先が舗装道路に変わることは、予め分かっていて折り込み済みでした。
舗装道路をそのまま進めば真壁または酒寄方面に早く下れるのですが、それでは味気ないので、さらに裏登山道を歩こうと、途中の三叉路から筑波高原キャンプ場へ向かう道に入ります。この先は緩い登り坂に変わりました。
筑波高原キャンプ場を通過します。
その後も緩い登り坂は続き、勾配がようやく下りに変わったら、その先に裏登山道への分岐が現れました。
裏登山道に入ると、「関東ふれあいの道」だけに、歩く人が少ないであろう割には、道はしっかりとしていました。ただ、荒れている箇所や、登山道上に水が出ている箇所などがあり、そこに凍結も絡んだりして、必ずしも歩きやすくはありません。「関東ふれあいの道」らしく木段が多かったのも、少々煩わしく感じました。
下のほうになると、小さな沢沿いに下るようになります。こんな時期だから、特別な印象は持ちませんでしたが、もう少し暖かくて緑も豊かな時期ならば、清々しい雰囲気の中を涼しげに歩けたりするのではないでしょうか。

裏登山道の登山口に下ったところで、車道に迎えられました。すでにかなりの距離を歩いていますが、バスに乗る予定の真壁庁舎はここから4km以上も離れていて、まだまだ先が長いです。
朝に歩いた「つくば道」と違って、ほとんど見所のない退屈な車道歩きが続きます。実は真壁庁舎まで向かわずに、真壁小学校か桃山中学校にあるバス停を目指せば歩く距離を少し抑えられると分かっていましたが、10月に運行開始してまだ間もない路線のこと、実証実験運行という位置づけもあって情報に乏しく、途中のバス停の正確な位置が不明だったので、バス停が探せずに迷うのを避けて、始点の真壁庁舎から乗ることにしていたのでした。
山の中を抜けると、沿道には次第に民家などが点在するようになってきます。
元々緩やかだった下り勾配がなくなり、道がほぼ平坦になると、景色が開けて真壁の街並みが見えてきました。
さらに右手側には、2011年に縦走した、きのこ山~足尾山~加波山と続く稜線もスッキリと見えています。
  ※下の写真は縮小版で、大きな写真(文字入れなし)は こちら です。
そして振り返ると、先程まで登っていた筑波山が、もう遠くに霞む眺めになっていました。それにしても、頂上にいる間は曇っていたのに、今頃はまた晴れているらしいなんて。
さらに歩き続けて、真壁の市街地が目前に迫ったあたりで、車道を自転車・歩行者専用道路が横切ります。
それは1987年に廃止された筑波鉄道(土浦~筑波~真壁~岩瀬、全長40.1km)の線路跡で、ほぼ全線がサイクリングコース(愛称:つくばりんりんロード)として整備されたものでした。もしも真壁駅跡が進行方向にあれば寄って行きたいところでしたが、真壁庁舎とは正反対の方向になるので、残念ながら今回は割愛しています。

桜川市役所真壁庁舎に到着、18km近い距離を歩いたのは久しぶりでした。
バス停は、事前に得ていた情報通り、庁舎のすぐ前に立っていて、難なく見つかりました。
次のバスが40分後で時間には余裕があるので、途中でコンビニに寄って遅めのお昼を調達していたのですが、食べる場所については完全なノープランでここまで来てしまっていました。さて、どこで時間を過ごしましょうか。
ここで、ふと庁舎の中を見ると、意外なことに照明が灯されていたので、ダメ元で入口の前に立ってみたら、なんと自動ドアが開くではありませんか。
入ってすぐのロビーにはお誂え向きにテーブルと椅子が並べられていたので、落ち着いて食事ができましたし、トイレも自由に利用でき、ほかに人がいないため着替えなんかも思うままだったりして、これはラッキーでした。
少し離れた窓口に職員らしき方の姿が見られたので、この時は休日窓口の対応なのだろうと判断したのですが、しかし帰宅後に桜川市のウェブを確認しても、真壁庁舎が休日窓口を開設しているという情報が見当たりません。
だから普段の休日も同様に開いているのか、たまたまこの日に何らかの業務の都合で開いていただけなのか、また、開いていたのは事実としても私のような者が入って良かったのか、など、詳細は不明のままです。
確かなことは、私がいた40分間、私以外に人の出入りが全くなかったことと、私がロビーに滞在したりトイレとの間を行き来したりしても、特に誰何されることもなかったということでした。窓口にいた方は、物音から私の存在には気付いていた様子でしたので、私の行動は一応は許容されていたものと今も考えているのですが‥‥。

バスは発車時刻の5分ほど前に、庁舎前にやって来ました(正確には、少し前に折り返し前の便として一度ここに到着し、数人の乗客を降ろしてから走り去るのを見ていたので、その後は駐車場で待機していたようです)。
ここから乗ったのは私を合わせて2人だけでしたが、このあと途中のバス停でもさらに数人を拾っています。
桜川市のバスはこの筑波山口が終点で、ここからはつくば市のコミュニティバス“つくバス”の「北部シャトル」に乗り継いで、つくばセンター(つくば駅)に向かいます。そちらは、最後には立ち客が出るほどの盛況でした。
つくば駅の改札近くには筑波の名産品を取り揃えた「つくばの良い品」というショップがあり、前回訪れた時は産総研・地質調査総合センター監修の「化石チョコレート」を購入していたのですが、今回は筑波山名産の福来みかんを使った「つくば福来まんじゅう」を購入。とても美味しかったですし、配った先での評判も上々でした。

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