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元清澄山・清澄山 [房総半島]

2016/02/11(木・祝)

■第321回 : 元清澄山(344m)・清澄山(377m)


房総の山歩きも今回で5回目となりました。この日は「関東ふれあいの道」の千葉県のコースの中から、「モミ・ツガのみち」を歩いています。
名前の付いた山こそ、元清澄山と清澄山の2座にしか登りませんでしたが、特にコース前半はアップダウンがこれでもかと続いて小さなコブを次から次へと乗り越えていく、なかなかタフなコースでした。

(往路)
古淵 05:47-05:51 町田 06:02-06:04 相模大野
相模大野 06:08-06:47 新宿 07:18-09:37 安房鴨川
安房鴨川 10:31-10:47 金山ダム

(登山行程)
金山ダムバス停 10:50
黒塚番所跡   12:00-12:05
元清澄山    12:35-12:45
元清澄山入口  13:25
池ノ沢番所跡  13:50
展望ベンチ   14:00-14:10
清澄寺バス停  14:35
清澄寺     14:40-14:45
清澄山(妙見山) 14:55-15:20 (清澄寺妙見堂)
清澄寺バス停  15:30

(復路)
清澄寺 15:41-15:53 安房天津 16:21-18:29 新宿
新宿 18:41-19:21 相模大野 19:25-19:40 南警察署前


大きなマップで見る

ちょっとした遠出になりましたが、1日1本だけの直通特急に乗って、新宿から乗り換えなしで安房鴨川へ。自由席も割と空いていて快適でしたし、車窓から外房の海岸風景を楽しみつつ、道中はゆったりと過ごせました。
ただ、ここから本数の少ないバスに乗り継ぐために、駅の待合室で1時間近く待たされるのでした。朝のうちはこの通りスッキリと晴れていたので、できればすぐに移動して、青空の下で歩き始めたかったです。
バスに乗ってしまえば、終点の金山ダムまでは15分ほど。意外にも、バスの乗客はずっと私ひとりだけでした。

車道を歩き始めると、10分もしないうちに金山ダムに着いて、ダム湖に架かる赤い橋を渡ります。橋の袂には休憩舎と駐車スペースがあり、そこに車が2台停められていたので、車で訪れた先客は何人かいるのでしょう。
橋の上からの景色は、特に何が見えているというわけでもなかったようです。この時間になると、上空には雲が増えてきて、日差しが遮られることも多くなっていました。
しばらく湖岸の道路を歩いて、さらにもう1本の橋を渡ると、間もなく山道が始まるのでした。
といっても、はじめのうちは、車でも通れそうな感じの道が続きました。
5分ほど歩いていくと分岐点に出ました。いよいよ、れっきとした山道に入るようです。

山道が始まったら、いきなり木段の急な登りが待ち構えていました。しかも、これがかなり長く続きます。
急登がようやく一段落したかなと思える場所に出て、喜んだのも束の間。先へ進むとまた長い木段の続きが現れて落胆、という展開が、かれこれ4~5回は繰り返されます。体力面だけでなく精神的なダメージも大でした。
そんな木段の急登の次に現れたのは、同じ木段でも今度は急下降でした。落ち着いて歩ける場所がありません。
下り切った先に待っていたのは急な登り返しでした。そしてこの展開も、このあと何度となく繰り返されます。
要するに、急登だけが連続するパターンが、下っては同じだけ登り返すパターンに変わっただけなのでした。
まだ序盤で体力に余裕があるとはいえ、これだけの登り下りをさせられるのはかなり苦しいです。この日の行程は距離が長めで、むしろまだ序盤でしかないことから、この先どこまで持つのかが不安にもなる幕開けでした。
それでも右手の眼下にゴルフ場を見下ろすようになると、ようやく道の様子が少し落ち着いてきました。
少し前までなら、とことん尾根筋を登下降させられていたようなところで、斜面にほぼ平坦な道が付けられていることも多くなりました。とはいえ、まだまだアップダウンも断続的に現れるので、決して楽にはなりません。

分岐点のような場所に出て、元清澄山へはここを右折します。ここが黒塚番所跡という地点なのですが、小さな1本の杭がそのことを示していただけで、特別な遺構は残っていないようでした。
右折して振り返ったところです(写真左下から出てきて手前に曲がりました)。実はこの場所に来るのは今回が2度目で、2009年に鍋石から元清澄山を目指した時は、写真正面側から出てきたのでしたが‥‥。
2009年当時すでに「一般的なコースではない」とされていた鍋石からの道は、6年の時を経てすっかり廃れてしまったようで、現在はロープに封鎖されて進入禁止となっていました。歩けるうちに歩いておいて良かった‥‥。

ということで、黒塚番所跡から先は1度歩いている道です。しかし当時の記憶はあらかた薄れていて、こんなクサリ場があることも忘れていたなど、初めて歩くのと変わらない感覚でした。
この少し手前では、若い男女2人組とすれ違っていて、結果的にこの日唯一見掛けたハイカーとなっています。
挨拶を交わしただけなので、清澄寺から私と逆のコースを歩いてきたのか、金山ダムから元清澄山を往復したのかは不明ですが、金山ダムに駐車していた車の主と会わないのはおかしいので、たぶん後者なのでしょう。
この区間に入ってもアップダウンは相変わらずで、こんなヤセ尾根を乗り越えていったりします。
そして元清澄山が近付くと、再び長い木段が現れて、これだけでもゲッソリしたのでしたが‥‥。
またしても、せっかく登った分を急下降でフイにしてしまう、という“くだり”が2回ほど繰り返されて、なかなかすんなりと登らせてはもらえないのでした。
ようやく、元清澄山手前の最後の登りに差し掛かる頃には、もう休み休みでないと登れなくなっていました。

元清澄山に到着すると、そこは無人でひっそりとしていました。全く展望のない、地味な頂上です。
さすがに頂上だけは、前回来た時の記憶がちゃんと残っていて、当時とほとんど変わっていない様子でした。
ところで帰りのバスは、清澄寺発15:41と16:53の2便が選択可能で、15:41発ならば往路と同じ新宿直通の特急で帰れて快適、16:53発だと鈍行を乗り継いで夜遅くに帰宅という、それぞれ対照的な結果が待っていました。
当然、早く快適に帰れる15:41発を目標にしていたのですが、そのためには少し速めのペースで歩く必要があって、急なアップダウンの連続にもかかわらず、ここまでは普段よりペースを上げて進んできていたのです。
そうして頑張った甲斐あって、15:41発に間に合うのがほぼ確実となり(この先は次第に道が穏やかになるので、時間も計算しやすくなっていたのです)、気持ちには少々の余裕も生まれていました。
とはいえ日差しが弱くて気温の上がり方が鈍く、そこに冷たい風が終始吹いていて、休んでいると身体が冷えて仕方がありません。そんな訳で、ここでの休憩は10分で切り上げて、先に進んでしまうことにしました。

元清澄山を後にすると、まずは木段を急下降していきます。
アップダウンはまだまだ健在ですが、少しずつ穏やかな区間も見られるようになってきました。
ここで一旦林道に合流しますが、またすぐに山道に戻ります。
三石山の分岐点まで来ました(左上から出てきて振り返っています)。2009年の時は、ここで鋭角に折れるようにして、三石山に通じる写真中央の尾根に入ったので、ここから先は初めて歩く区間になります。

三石山分岐点の先では、稜線の登り下りがほとんどなくなって、斜面をトラバースする区間が大半になります。
ほぼ平坦に歩けるのが楽な一方で、ずっとこんな道ばかりが続いて、いくら進んでも全く景色が変わりません。
もう長い間、道標と道の所在を示す柵以外の人工物を見ていません。静寂に包まれた深い森の中をひたすら抜けていく道では、人の気配が全くないこともあって、すごく山深い場所にいる感覚が味わえました。

同じような景色の連続に退屈してきた頃、林道に出ました。案内図等で「元清澄山入口」とされている地点です。あとは清澄寺までこの林道を歩くだけだと分かっていたのですが、それが舗装されていたのは想定外でした。
清澄寺まではまだ5km以上あって、疲れた足でこの硬い路面を歩くのかと思うと少し気分が凹みました。
「元清澄山入口」より先に一般車が入れないことから、全く車が通らず、のんびりと歩けることだけが救いです。
幸いにも、舗装されていたのは1kmくらいの間だけで、その後は未舗装に変わってくれました。
それだけでも路面の硬さはかなり違うので、残している距離の長さを考えるとこれは大きかったです。
苦しいアップダウンが続いたコースの前半に対して、ほぼ平坦に近い山道や林道歩きが続く後半と、前後半で好対照をなすコースです。それにしてもこの林道では、特段の見所が何も現れないためになかなか退屈でした。
しばらく歩いていくと、右手に池ノ沢番所跡という地点が現れますが‥‥。
前に通過してきた黒塚番所跡と同様に、1本の杭がそれを示していただけです。単なる平地にしか見えないので、スルーしてしまいました。由来を記した解説板でも立っていれば、足を止めることもあったと思うのですが。
さらに進むと、少し開けた地点にベンチが置かれていました(特に地名がないらしく不便なので、この記録では便宜上「展望ベンチ」としています)。このベンチの存在は「千葉県の山(山と溪谷社刊)」に載っていたので、休憩場所に選んでここを当面の目標に歩いたきたのです。ただ、同書で地図上に示された地点が実際とあまりに違いすぎて、そこを大きく通り過ぎてしまったので、ベンチがなくなったものと一旦諦める一幕もありました。
遠くで外房の海が光っていた以外、特に何が見えていたという訳でもなかったのですが、長い林道歩きで唯一腰掛けて休憩できる貴重な場所なので、時間に余裕ができていたこともあり、しっかりと足を休めていきました。

長い林道歩きも、千葉県道81号(市原天津小湊線)を跨ぐと、ようやく終わりを告げます。
ここからは車道に合流して、清澄寺へ向かいます。
ほどなく、帰りにバスを待つ清澄寺バス停の前を通ります。計画段階では早いバスに間に合うかが微妙だと計算していたのに、順調に歩けたことで1時間もの余裕が生まれていて、ゆっくりと清澄寺を見て回れそうです。

ということで清澄寺へ。Wikipediaによれば、1200年の歴史を持つ日蓮宗の大本山で、日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、総本山の久遠寺・池上本門寺・誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれているとか。
まずは大本山に相応しい立派な仁王門をくぐります。
境内に入ると、ひときわ目を惹いたのがこの千年杉でした。樹齢およそ800年(ただし諸説あり)という古木で、幹の内部に空洞ができて祠になっていたりするものの、枝振りもまだまだ見事でした。
せっかくですから、大堂(本堂)で参拝していきましょう。
もう夕方近い時間のためか、境内には人の姿がまばらで、じっくりと参拝できて良かったです。
大堂(本堂)も荘厳とした佇まいで、天和2年(1682年)の完成とありますから、徳川五代将軍綱吉の時代に当たるようです。この時は中から読経の声がずっと聞こえていました。
大堂(本堂)のすぐ左隣にあった祖師堂も立派でしたが、こちらは昭和に入ってからの建築物のようです。
大堂(本堂)と祖師堂の間から裏手に進んだところに、妙見堂が建つ清澄山頂上への道がありました。
境内から頂上までの標高差は60m以上あって、木段の道を割としっかりと登らされます。
頂上にはこの妙見堂がポツンと建っているだけでした。建物の右後方が清澄山の最高点に当たるようですが、愛宕山・鹿野山に続いて千葉県内3番目の標高を誇るはずなのに、特に山名標のようなものは無かった模様です。
頂上には、妙見堂の建物以外に何もありませんでしたが、さすがにこの時間、こんな場所まで来る人は誰もいません。何もない分、静かに過ごすことはできたので、ここで少し時間調整していきました。

バスが来る10分前にバス停に戻ってみましたが、周囲の閑散ぶりから予想していた通り、バスを待つ人はほかに現れないようです。バス停前に居続ける必要もなさそうなので、展望台への案内に従ってすぐ裏手の小山に登ってみると、登り切ったところには東屋がありました。
こちらが展望台からの眺めです。写真を縮小したら少し分かりにくくなりましたが、小さな山並みの背後で、その上の空よりも少し濃い色に写っているのが、太平洋の大海原でした。
ほぼ定刻でやって来たのは、マイクロバスというよりは大きめのワゴン車でした。定員12人に対してすでに6~7人が乗っていて、もしも満員になっていたらどう扱われたのだろうと、少し気になってしまいました。
安房天津駅に到着。駅前に何もなくて、待合室で時間を潰すしかありませんでしたが、首尾良くここで、往路と同じく1本しかない新宿直通の特急を捕まえることができ、ゆったりと座って帰ることができした。

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